生きる力

世の中どうなるか分からない。

だから、自分がひとりでも生きていける人に育つような子育てを心がけてきました。

お陰様で子どもはどこに出ても恥ずかしくない、子どもに優しい親になるだろうと思える大人、成人となりました。

これまでどの職場の先生にも、マニュアルに基づいて子どもにさせる、させたいことがあると言われました。

子どもは無理にさせなくても出来るようになります。

無理にさせようと褒めておだててすると、向上心を奪われた人になります。

何もしない子=権力を振るう大人の都合や押しつけに合わせることは何もしない「まともな小さな人」ではないでしょうか。

ピアノに合わせ、みんなで大きな声で歌うことが本当に楽しいことでしょうか。幼稚園生の私は好きではありませんでした。幼稚園が嫌いでした。

ひとりで前に立たされ、知らない曲が流れ、さあ大きな声で歌って、踊ってと言われても、意地悪な罰ゲーム、見世物でしかありません。それと同じことのような気がします。

それが出来たからと言って、何のため?人の役に立つことでしょうか。

小さいときに出来たとたくさん褒められた。だから自分は小さい時から何でも出来る凄い人なんだと考え、他者や大人をバカにするようになります。

自分の得になる、褒められることがなければ出来ない自分を認めたくないため、新しいことに挑戦することもない。

したい時にして、出来たときに一緒に喜ぶと、

生きるために必要なことを自然と自分で気づき力をつけていきます。

痛い思いも体験をして、危険予知や回避力が身につきます。

登山と同じで、大人が先回りして安全を確保することはある程度必要でしょう。

けれど、子どもにとって必要だから起きていることを経験させず、危険予知や回避力が身につかないまま成長し、先々重大な怪我や生命の危機につながっているようにも感じます。

大人は、子どもの土台をつくる時期に、生きるために必要な環境を用意するだけでいい。

広く平和な世界、悪影響を与えるものは初めから見せない置かない環境を提供し、見守り、SOSなときだけ手を差し伸べます。

一緒に育ってきた自分の子どもも、子育てサークルの子どもたちも、森のようちえんの子どもたちも成人しました。

色々な経験をして自発的に考え行動する自立した子どもたちに育ちました。

今、自分が子どもに対して思い悩むのは、自分が子離れ出来ない教育を受けてきました。

だから、自分が受けてきた子育てにならないように心がけてきました。

子どもたちは掃除、洗濯、調理、縫い物、DAY、何でもそつなくこなすことが出来ます。

食べ物に好き嫌いはありません。

趣味や向上心があり、ボランティア精神も高い。

勉強しなさい、宿題しなさいと1度も言ったことはなく、塾にも行っていません。だけど学力は高い(日本の中では)。

夢や目標をもち、進路は自分で決めてきました。

自立し親からの援助がなくても大学生活を楽しむことが出来ます。

凄いの一言。
子どもを尊敬しています。

子どものときにおんぶに抱っこ、甘えたいときにたくさんたくさんして甘えさせました。

心が満たされると、離れ色々なことに挑戦し楽しみ、また戻り充電する日々でした。

家にこもる日はなく、毎日車で違う場所に行き、皆で笑いながら日が暮れるまで遊びました。

人見知りせず、場所慣れしているため保健師さんから

「この子おかしい、変だよ」と言われました。

おかしいおかしいと虐待を疑われました。

人見知りをする、イヤイヤ期はあるもので、ないのは虐待を受けているというマニュアルだったからです。

当時の子育て家庭の一般的な生活、普通ではなかったからではないでしょうか。

教育ではなく、とにかく遊びを通して経験することにお金を費やしました。

子どもたちは愛に包まれ安心して親や大人、誰をも信じることが出来ていました。

食事は有機野菜を食べて育ちました。とても健康です。

ですが、普通のものを食べると私と同じように、心身に支障が現れます。

本当によいこと、必要なことでも新しいこと、常識から外れたことは、初めから好調とはいきません。受け入れられず、必ず出た釘は叩かれます。

多様性がうたわれ、以前よりは幾分生きやすくなったように感じます。

本当に必要なこと、つまり人が幸せになるために必要なことは、いつか必要だと思うこと、良さを実感し、根づき当たり前になる時がきます。

最大の宝物を簡単に手に入れたらゲームもお話も成り立ちません。

簡単に手に入れられる物は、大したものではなく、1手段だと覚えておくと良いでしょう。

あなたは何もないところ、0から土を作ることが出来るでしょうか。

地面の土はどうやって出来たのだろう、どうしてここにあるのだろう、誰が作ったのだろうと考えたことはありますか?

簡単に手に入れられると思いがちな土ですが、自分が満足出来る土は自分で0から作らない限り手にすることはないでしょう。

土?いらない。

それは心の奥底で生きる土台の放棄を象徴しています。

地球における、健全な自然、家族、自分を保ち守ること。

それが出来てやっと本当の幸せ、喜びが訪れます。

「ふ」の出来事(問題、試練)があるから、「よう」(嬉しいこと、喜び、ステップアップ)がある。
バランスは大事。

今は魂がこの世で成長するために生まれ、生きていることを思い出し行動するときです。

全人類が、新しい時代を生き抜く力があるかどうか、試されています。

だから、なにかと問題が起きてしんどいと思います。

問題は、すべていいことに変わります。問題は幸せになるために与えられるものだから。

問題はすべていいことに変わると願い心や口に出して待ちましょう。

子どもも自分も皆、幸せになります。

子どもも自分も皆に対しても、

ゆるす

許す、赦す、緩す
ことを忘れずに。

子育ては人生のひとかけら。

楽しみましょう‪💖