1997年4月22日に当時のペルー大統領アルベルト・フジモリの決断で大使公邸までのトンネルが掘られ、地下から公邸に特殊部隊を突入させ、犯行グループは全員射殺された。この際、特殊部隊の2名と、人質であったペルー最高裁判事が死亡した。青木は救出時に胸や足に重傷を負ったものの、人質の大使館員やペルー政府要人、日本企業の駐在員らと共に救出された。曽祖父は明治時代に外務大臣を務めた青木周蔵。