アメリカがイラクを相手に「湾岸戦争」(1991年)に踏み切ったのはこの時期です。 クウェートの救出はただの名目にすぎず当時のクウェートは民主主義国家ではなく独裁に近い王政でした。 イラク占領まではしなかった湾岸戦争の真の目的は、イラクを利用して中東にアメリカの影響力を強めることでした。 湾岸戦争が終結したとき、戦場の砂漠には多数のミステリー・サークルがありました。

 主に単純な円形で大きな物で直径が十数mで内部が窪んでおり、一見すると巨大なクレーターのようでした。 報道管制下においてその映像は表に出ませんでしたが、戦場に突入したカメラマンやジャーナリストがミステリー・サークルを目撃しています。 戦場ではプラズマ兵器やさまざまなアメリカ製の最新兵器が使用され、ソ連の世界最強の戦車「T-72」はかないませんでした。 ソ連に対して力の差を見せつけるため、それまで極秘にしていたプラズマ兵器を使用しました。 エリア51から照射した電波で発生させた低熱プラズマをわざと目視できるようにして、イラク兵の立てこもる地下陣地に発生させ、多くのイラク兵がパニックに陥り一部は自律神経が麻痺して呼吸困難で悶絶しました。

 

関連動画 立体映像ホログラムを投影させるてサイコトロニクス兵器

 

 プラズマ兵器が湾岸戦争で使用されていることは、捕虜になったイラク兵からマスメディアに知られるようになりました。 イラク兵の体験談から、次のような現象を引き起こす秘密兵器が使用されたことになります。 幻覚を引き起こす、記憶に干渉する、戦意を消失させる兵器。 空中に立体映像を投影させる兵器、空中を超高速で移動する兵器。 これらはプラズマ兵器がもつ特徴です。

 

 アメリカの情報操作の効果もあって、これらを断続的に繰り返される集中砲火の下で恐怖に陥ったイラク兵が見た幻覚としています。 多くのイラク兵はプラズマ兵器で殺されました。

 イラク軍の戦死者数と発見された遺体の10倍以上もの極端な差があるように、イラク兵の大量の遺体が見つからないのは、遺体が残らないほどの超高温のプラズマで蒸発して殺されたからです。

 

 湾岸戦争では、アメリカは、プラズマ兵器体系が実戦段階の一歩手前に到達していることを、ソ連の軍事偵察衛星を通してソ連の指導者たちに見せつけたのです。 ソ連軍の頭の固い上級幹部の戦意をくじくためには、アメリカはソ連の軍部にアメリカに勝ち目がないと思わせる圧倒的な差を見せつけることで、ゴルバチョフが軍部を説得できるように援護しました。 それでもソ連の歩みは遅くゴルバチョフは軍を押さえ切れずにいて、ソ連がコントロール不能の事態に陥ることを懸念したアメリカは、バングラデシュのプラズマ兵器による大量虐殺で脅しをかけたのです。

 

 今やアメリカに勝てる国は、この地球上にはありません。 世界最強の軍事大国としてアメリカは君臨しているのです。 そもそもシークレット・ガバメントにとって世界の国々などは眼中にはなく、■■■■人との全面戦争を視野に軍事力を強化しているのです。