ブログに訪れてくださり
ありがとうございます
曼荼羅ヒーリングアートの前日に
ユータンと皆さんとで
知多半島へとパドメツアーに行きました
(今回は募集などはしておらず、
近場の方にお声がけさせていただき行って参りました)
三回下見に行っててもなお
やはりユータンや皆さんとご一緒すると
同じ場所でも
新鮮で、何か違う雰囲気になるなぁ、
と思いました
一ヶ所目
高讚寺(こうざんじ)
山門の仁王さまのところで。
梅が満開に咲いてました(^o^)
樹齢350年ほどの、椿の木ドッシリ~!
立派です
行基(ぎょうき)が開山、と由緒にありまして
度重なる戦火でたくさんのお堂が焼失した、とあります。
元々は、もっと広大な土地にたくさんのお堂があったようです。(三百も!!)
三百の堂宇
(寺院の建物全般を総称して)
七堂迦藍
(型通りに七種の建物を完備しているもの)
つまりたくさんの僧侶たちの住まいもあり
修業する道場もあったのですね~!
文化財もこんなにたくさん!。
大涅槃図
(お釈迦さまがなくなられた姿を絵にしたもの)
両界曼荼羅(空海が唐から持ち帰った曼荼羅:仏教の教えを絵図にしたもの。)
まであるんだ~!
と感動して
『文化財などの、御開帳は、いつですか?
本堂内にあがらせていただけますか?』
と、お聞きしてみたのですが
『やってない』とのひと言で
チーンでした。
お掃除やご奉仕などでも良いので
お手入れをお手伝いしたい、、
と思いましたが
次は、熊野神社へ向かう前に
目の前の海へ皆さんと。
今日も青空で、すこぶるキレイでした
白い貝がらを拾って、神社本殿の
のうしろの正面のところに奉納しました
地元の氏子の方々が、大切に大切に護ってみえるんだなぁ、と伝わるお社です
枳豆(きず)志、、、
枳(き)
って、本来は
鬼、なのかなぁ。。。
何で枳豆志が東西に別れる必要があったのか?
熊野権現(熊野のお山のかみさま)は
東のもんだ!
いや西だ!と石投げをして
争ったからだと記してあります
でも結果的には決着はつかず
東西ともに、うちが、本物だ!という姿勢を崩さず
東西ともに、
熊野神社が鎮座しているとのこと。
(かみさまは皆のための存在で誰の物でもないのに~。)
でも、その後西の枳豆志郷の人々が
天皇に逆らったため
その郷の人々は姓を剥奪された、とあります。
まつろわぬ者は、やはり消されるのか~。
西の熊野神社、今度探してみよ~っと(笑)
知多半島の最先端、
師崎(もろざき)へ。
玉姫社と、
羽豆神社さんへ
菱形の、菊花紋、、。
ズラリと続く、様々な神様のお社。
今より巨大なイワクラと
膨大なジャングルのように
多種類の原生林が生える半島の先だったそうです。
その膨大な木々たちが防波堤になり護られ
師崎の人々は水害から救われていたそうです。
神社がここに建立する訳ですね~!
羽豆=波豆、だったのも理解できます。
豆、、、どんな意味かなぁ?(・_・;?
最後に、クーヤンさんが毎月お詣りに訪れているという
岩屋寺へ。
本堂でお詣りしていた時
住職さんが来てくださり、
皆を案内をしてくださることに。
なんとこのお堂、ふだんは開かないところを
特別に開けてくださいました!!
中には、ぐるぐる回すやつ(笑)
【輪蔵】と言うそうです
みなさんで回しました!
すごく滑らかに動いて、ビックリ!
もっとギシギシするのかと、、。
支点になる石の上に
コマのように乗っているだけのシンプルな造りなのだそうです!
五百羅漢のお話などもお聞きして、、
岩屋寺(いわやじ)の奥の院へ。
尾張徳川の紋。
その歴史は古く、
開山 715年!!
下見に来た時は
ここで足が止まり、、
右上から降りてくる
ものすごい、氣だったのです
なので今日は
お鈴をならして、祈りながら、進みました
前を行くユータンや皆さん
楽しく話ながらニコニコしながら
散華をまいて下さってるようにみえました
奥の院は素晴らしいです
尾張高野山、とよばれてるだけありますね~!
奥の院のお堂内。
もともと、ひとつ
神仏習合が良いですね~!
お堂の外で、パドメ玉!
お堂の前には龍さんの池が
ユータンがお祈りすると、
さわさわさわ、、、とやわらかな風が来て
水面に、風の波紋ができました
感謝、感謝ですね~!
みなさん同じように
【たまたま通りかかったご住職にお寺を案内していただき、、、】
と、書かれていました!!
ご住職さんのお寺に対する想いが伝わってきます
いきなり、説明の中で
ギャグをぶちかましてくるお茶目なご住職さんでしたよ~!f(^ー^
妙見さんで好きなところは
もうひとつ
愛知県 春日井市 内津(うつつ)の、
内津妙見さんが、ありますが
岩屋寺の8月の星まつりには、必ずや!
お詣りに来ようと思います
また、プライベートツアー企画したいです
(*^^*)\(^_^)/