夜中にふと目が覚めると、ふわ~っと右横からお線香の香りが漂い、ギュッと目をつぶり直して‟気にしない気にしない、一休み一休み。南無~”と心の中でつぶやき、なんとも質の良くない眠りで目覚めた朝です。
「あれはいったい・・・何だったんでしょうか」(←怖い話の見過ぎ)
前回の投稿を上げた後、何度も読み返してみては「あ~何でこんな尻切れトンボみたいな状態で終わらせちゃったんだろう」と思っているそんな旅の続きです。
※え~っと、今日も懲りずに長いです。端折ったらとも思うけど、「もう全部言いたい全部聞いて欲しい」と思うので、適当に聞き流すように読んでもらえたらと。
今日のは『神回』ですからね。絶対に良い事あるある
太宰治ゆかりの「天下茶屋」を後にした私たちは、新しい御坂みちを、【旧御坂峠の話、ハロの話、隧道の話、天下茶屋の話、小梅ちゃんとお父さん・お兄さんの話、太宰治の話、ほうとうやいもだんごの話】等々をしながら下って、国道に合流しました。
抜けてみてようやく自分たちが回ったルートを理解し、行きには気付かなかった道や標識が有った事に気付き、やっぱり導かれてのあの旧御坂峠だったのだなと2人して語り合いました。
次の目的地は、『北口本宮冨士浅間神社』だったので、河口湖は手前でさよならして左折。
帰ってから地図を開いては、「あぁここに、これがあったのか」「あぁあそこに、あれがあったのか」と思っているのだけど、その時には分かってなかったのだから仕方がない。次はきっと回れるはず。
富士山の麓には、富士山信仰を起源とする9つの『富士山浅間神社』があるそうで、その1つがこの「北口本宮冨士浅間神社」。
富士山に呼ばれているのだから『富士山を近くに感じられる場所に行きたい』と調べていて、よく名前を目にしたのがこちらと、静岡の「富士山本宮浅間大社」(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)だったんです。
SAに寄った時間や「天下茶屋」さんでゆっくりしていたこともあり予定より大幅に時間が下がっていたので、気持ち急ぎ足で向かった所、スマホナビの案内を読み違えて道を間違えるという。
結果、
インスタ等でこの景色を目にすることはあったけれど、それがどこなのか知らなかったんですよね。なんなら静岡側だと思っていたぐらい。それなのに、まさかの道間違いによりここに辿り着いた
ずばり、正に、導かれたでしょう
「キャーキャー」言っていてもやっぱり見えない富士山
‟来い来いって言っておいて、顔を全く見せてくれないってどういうこと?なんで?”とブーブー思っていたのだけど、私の前に2台居た車が右折したりしていたら信号が赤に変わり、私はアリーナ席というか、最前列でゆっくりとこの景色を眺める事ができたんですよ
すごくない
最初に案内された道は通り過ぎてしまい、次に案内された道は、手前の筋を間違って折れてしまったんですよね
そしたらこの景色と赤信号。鳥居の前で、しかも前に止まる車は無し。
もう本当にシャイなんだから。会いたいならはっきりと会いたいと言えばいいのに
でも、きっと雲の隙間から私を見ていたはずだ。
この通りを抜けて左折をして直ぐの所に、「北口本宮冨士浅間神社」の第一大鳥居が有ったのに、私のナビは素通りしてルートを案内。
通り過ぎかけて「ええっ」と思うも、Uターンすることもできない為案内通りに進んで行くと、裏手になる駐車場に到着しました。第6、7駐車場に当たる場所。
第一鳥居の前や横、道を折れて直ぐにも駐車場があったのに、何故だか裏に連れて行かれたんですよ。
‟なんでこんなにも間違えるの”と思ったのも束の間、駐車場と書かれた看板脇を入っていくと、この杉の木立が。
入ってはみたものの、「駐車場」と案内はあるのに舗装がされていなくてプチパニック
と思ったら、杉の木と木の間に車を停めるスタイルだったんですよもうそれだけでも感動する私
人間の都合の為に伐採したり舗装したりせず、自然の中に人間が間借りしているんですよね。その在り方に本当に驚きと感動
「はぁ~、もうここホンマにすごすぎるホンマに来てよかったっていうか、道間違ってここに案内されてホンマに良かったホンマにすごい、すごすぎる」と大興奮していた私。
そしたらね、娘ちゃん、
「お母さん、やばいここ虹みたいなんが写ってる」と撮った写真を見せてくれたんです。
すごいすごいしか言っていないけど、本当にすごいでしょ明らかに波動が違う。
もう、ここだけで終わってしまうのではないかと思うぐらいに、暫く駐車場の空気感を堪能していました
いつまでもその雰囲気を味わっていたい気持ちはあるものの、次の予定や帰る時間のこともあり、参拝に向かう事に。順路案内と書かれた看板通りに進んで行くと、「祖霊社」が。
娘ちゃんと2人で「えっっと、誰」という感じだったんだけど、ウチで言う所の親鸞聖人や蓮如上人だと知り納得(我が家は浄土真宗本願寺派)。
富士信仰の開祖『角行』やこの神社復興に尽力した『村上光清』、江戸庶民に富士講を広めた『伊藤(食行)身禄』が祀られているお社です。
とにかく、駐車場であっても裏から入っているということもあり、一旦第一大鳥居まで出てから参道を通ってお詣りをすることに。
額には、神社の名前ではなく「冨士山」とありました。それだけでも厳かな神聖な感じがしますよね。1歩くぐれば神域であることを感じずにはいられない。
鳥居前に居る時点では空は薄曇りだったのに、参道に入ると光が射すという摩訶不思議現象が
もうね、写真を撮ろうとすると光が射し、スマホを下ろすと陰るんですよ
なんて素敵な神社なんでしょうか。終始「ありがとうありがとう」と心の中でつぶやいていました。
サービスショット
娘ちゃんが例の隠し撮りをしていたんだけど、私の頭上が凄い事になっていましたよ何が降りてきているのか
あっ、もう一つ、駐車場で彼女が隠し撮りをしていたのも上げてみよう。
杉の木が大きすぎるのか私が小さすぎるのか。陰暮らし(ニート)のアリエッティと呼んでいいよ(←ジブリに通報される笑)
その場に居る時には「でっかいなぁ」ぐらいの感想だったけど、改めて画像を見ると、どれだけの時の流れを見て来たのかと思いを馳せますよね。
「仁王門礎石」
嘗て境内には、神社と共に三重塔や鐘楼、仁王門等が神社と一緒に建っていたそう。「神仏分離令」施行により、撤去。唯一この礎石だけが残っているそう。
「『角行』の立行石」
富士講開祖の角行が、この上で爪立ちして荒行をした石なのだそう。69歳で、しかも冬の酷寒の中、裸で30日立っていたんだって富士山に登ってではなく、この石を富士山霊の遥拝として荒行を行い、全身から血を噴き出して行を止めたのだとか。
それにしてもと思う荒行ですよね。でも、先人のそれがあったからの今なのだと思うと。。。
仁王門礎石だけが唯一、「神仏混淆」(しんぶつこんこう)時代の名残だと書いてあったのだけど、駐車場から第一鳥居まで向かう際に、とても仏教的だなと感じていた私。
どことなく、高野山の奥の院を感じさせる雰囲気。物はなくともその気、誰かの想いは消せないのだなと思いました。
この参道を進んで行くと、大鳥居が。とても小さく薄っすらと写っている朱色の建物がそれです。
大鳥居の前には、こんな川が流れていましたよ。
水が透き通っていてとてもキレイ。手を入れてみると、この季節にと思うほど冷たくて心地よかった
そして「大鳥居」。逆光で分かりにくいですが、「三國第一山」と書かれた額が掲げられています。
大鳥居の側で守っている「阿さん(獅子)」
と、「吽さん(狛犬)」
「写真を撮らせてください」とお願いするも、「陰暮らしのアリエッティには届かないだろう」と若干見下されたので、頑張って腕を伸ばして背伸びして撮ったけど、逆光もあってあまりいい感じには撮れませんでした笑
「隋神門」
駐車場や参道だけでもすごい空気感を感じるのに、隋神門を抜けると、またここで空気感が一気に変わるんですよ。更に神聖な空気に包まれる。キーンと張りつめた、でも優しい雰囲気。
「神楽殿」
ここに立ち、造りを見たり掲示されている説明を読んでいると、急に太鼓の音がここでも思わず娘ちゃんと顔を見合わせて喜んでしまいました
手水舎にはキリっとしたお顔立ちの龍
始めは正面や左側(龍から見て)を撮らせて頂いていたのだけど、どうも不機嫌さというかピリピリした雰囲気を醸し出していらっしゃったんですよね。
右側に回るとよりキリっとされつつも優しい雰囲気に。ご本人はそっちの方が良いのだろうけど、私的にはどこから見ても素敵だと思った
手水舎の水は裾野に湧き出る泉瑞から引かれているそう。手を清めると、それだけで噴き出した汗がスッと引くほどの冷たさでした。この手水鉢、富士山の溶岩から削り出されたものだそうです。
とにかく、もうこの龍がステキすぎて暫く眺めていたら、あきれた顔をした娘ちゃんがかーちゃんをジーッと見ていましたよ笑
手水舎にもたくさんの龍(獅子もいたよう)。まだまだじっくりと見ていたかったけれど、霊泉の冷たさのように、冷ややかな目でかーちゃんを見ている娘ちゃんがいたので諦めた。
本殿の方に目をやると、そこを守るかのように境内には2つの大きな木が
こちらは「太郎杉」
そして、こちらは「夫婦桧」
高野山奥の院の杉の巨木にも圧倒させられたけれど、流石に樹齢千年となると。どれだけの時の流れ、人の彼是をこの場所で見つめてこられたのか。
そしてここで私は「ヒヤッ」となり「ハッ」っとなるんだな。
実はしめ縄の向こうに大きな鈴があり、その奥にこれまた大きな天狗さんの顔が2つ並んでいたんですよ
じっくり見たら口元だけは分かるはず
怖すぎてじっくりとは拝見できず、「てっ、天狗」と思っていたのだけど、右が天狗・左は烏天狗だったよう。(もらい画をとも思ったけれど、なかなかな圧がある為、また伺った際にお願いをして写真を撮らせて頂こうかと思います。)
実は、先日の那智の滝の帰り、八咫烏が見送ってくれたんですよね。あれは絶対にそう。で、ここに来ての烏天狗でしょ。
天下茶屋に向かう御坂峠を上っている時に、何かが動く、見ている気配を感じて娘ちゃんにそれを話し、そこからちょっと天狗の話をしていたんですよね。龍神様は愛嬌があるイメージだけど、天狗はちょっと怖さを感じる的な。
そしたら、待ち構えていたかのように天狗さんがいた
もう心臓がギューーーンとなった
「切腹最中」もって謝りに行かないといけないかなぐらいの睨みが効いており、「あ~あの時あんなことを言ってごめんなさい」と平謝りしながらお詣りをしました。
流石にピリッとしていたから、写真を撮らせてくださいとは言えず。ただただ愛想笑いをし、「いやぁ~ありがとうございます。ははは~」と伝えて逃げるように本殿の階段を下りましたよ。
今思えば、イカツイ強面な顔をしているけれど、睨みを効かせながらも内心はクスクスと笑っていたんじゃないかと。からかわれていたんじゃない?と思っている。御坂隧道の事もありましたしね
それにしても怖くない?別に天狗についての話を事前に聞いたりしていたわけでもないのに、たまたま峠でチラッと見えたというか気配で「天狗」と言い、そして神社で遭遇するという
この辺りは「天狗の庭」とも言われているそうだから、もしかしたら本当にそうだったのかもとも思っている。後付けだけど、大佛次郎の「鞍馬天狗」から、太宰治は「維新の志士 鞍馬天狗だと思った」と自分の事を言っていたらしいから、なんか色々繋がってんじゃないかと思っている。
が、分からない
例にもれずおみくじ女子(娘ちゃん)のお願いで、こちらでもおみくじを引くことに。あっ、那智の滝の様な大きな筒状のものではなく、箱に沢山入っている中からくじ引きのように自分で選んで取り出すタイプでした。
富士山・恵比須様や大黒天様・招き猫・普通の物と、なんとも目移りしてしまう可愛らしい物。コンプリートしたくなるってやつです。
和歌山では「吉」ながら、なかなか辛辣な言葉が連ねてあった為悩んだけれど、一緒にTry
そして、見事大吉が出て、2人して大興奮
まだまだゆっくりしたい気持ちもありながらも、静岡の方にも寄りたかった為、西宮本殿にお詣りしてから駐車場に。
北口本宮冨士浅間神社さんは、「富」の上に点がつかないワ冠の「冨」。霊山富士を表す文字です。点がない理由に、「人が立てない、神は見えない、山頂は神域である」等所説があるそう。
【御祭神】
〇木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
〇彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)
〇大山衹神(おおはやまづみのかみ)
駐車場を出て左折し、静岡に向かって走り始めた所で鳥居と参拝されている方が居る事に気付いたのだけど、止まれず通過。何でも『大塚丘』があるらしいことを、帰ってから知りました。
リサーチ不足だな
併せて、土地勘も位置関係も分からずにいたけれど、帰って地図を広げてみたら、実は私たちが停めた第6・第7駐車場の後ろに富士山が居たらしい。どうりであの写真
一番近い場所に居たのに、私は気付いていなかった
よくよく冷静になって考えてみれば、金鳥居からの見え方で分かる事なんだけど、ぐるぐる回ったりしたもので気づいてなかったんですよね。
オーラを隠して、見えないように後ろから私を見ているだなんて。声を掛けてくれたら、もっと話もできただろうに。
「遠いけど、また今度、お天気の良い日に伺います。会いに来ますから」とシャイboyに挨拶をして、山梨県を後にしました。(勝手に男性と見ている人笑)
「早く書き上げなさい」とどこからか言われるもので、まとめて山梨編を上げたかったんだけど、「多すぎです」とダメ出しになったんですよね。まっ、分けても長かったから、これでいいのだ。
あっ、内容が内容だけに、クレイジーな人だと思われるかもしれませんが、いたって普通の人です
行きはルートが分からないものでめちゃくちゃ緊張していたけれど、戻る時には若干の余裕もあり。気が付くとまた娘ちゃんは爆睡モードに突入していたけれど、それも許せちゃう心の広さのかーちゃん。
ここから1時間程車を走らせて、向かうはいざ静岡へ
つづく。