6月に弟から、何も出来ない、何の価値もない人間

と言われたいずみ。

それについて掘り下げて考えてみた。

その時の意見は今でも変わらない。

 『「何も出来ない、何の価値もない人間」』タイトルはいずみのことでございます。不快なパワーワード失礼いたします。  これは6月だったか、弟に電話で言われたこと。 喧嘩してたわけじゃないよ。喧嘩してなく…リンクameblo.jp



 

が、当然と言えば当然だけど

弟と同じ考えの人が居て、

なかなかの衝撃だったからもう一度考える。

 

無駄なことなのかな。でも、これはぐらついた

自分の考えを固める作業だと思ってやる。

 

 

 

有名な方なのだろうか、

超実力主義だと言うあるポーランド人の方が

「弱い者を守りたいとは思わない。」

「役に立たない人はみんな死ねばいい

 と思っている。」と言われていた。

「そういう意味では外国人(移民)よりも

 老人の方がよっぽど問題だ。」と。

 

 

補足なんだけど、この方の話の持って行き方が、

いずみには話の真意が分かりにくい事が多く、

もしかしたら本当に言いたかった事は

そうじゃないかもしれない。

間違っているかもしれないけど

このまま進める。

 

 

どうなんだろうねえ。

 

 

 

ここで言う役に立つとは納税を意味する。

扶養されている人や遺産から納税している人を

どう思っているかは不明。

でも、なんとなく労働や運用から納税をする人

=役に立っている人、じゃないかなと思う。

 

 

資本主義の国で生きる以上これは正しいの?

 

 

 

高齢者は、今は高齢者でも過去は納税者、

それでも今は高齢者で

役に立ってないからダメなの?

 

 

 

 

いずみがもし役に立つ人間で

高額納税者だったとしたら

そんな未来が待っている退職後なら、

納税意欲がそがれる。

年を取るのが怖くなる。

 

社会全体がそういう価値観なら

子どもや孫も年と共に、そろそろ

おじいちゃんおばあちゃんいらないねって

思うようになる。

 

 

「みんな死ねばいい」って、

役に立たない責任取って自分で死ねってこと?

年を取るって、責任を取るような事なのか・・

誰もが平等に訪れる自然現象なのに。

 

 

障がい者や発達障害の人はどうなの?

発達障害者は高額納税者にもなりうるけど

身体的に労働が無理な人もいるよね。

死ななくてはいけないのか?

 

 

 

 

 

いずみは子どもが高校生になる歳になっても

おばあちゃんがしてくれたことや思いに救われた。

亡くなった時、おばあちゃんは95歳だった。

高齢者となってから何十年間、

納税はしていなかったけれど

孫の心に養分を与え続けたことになる。

 

 

その子どものいずみ父。

いずみにとって毒親だったけど

息子の事をかわいがり、息子はおじいちゃん子。

こんなボロい物使う?って思うような

おじいちゃんからのお下がりを使っている。

 

最近わかったけど、多分

それらを気に入っている理由は

それを使っている時の安心感だと思う。

自分を大切にしてくれる人を

思い出すというか感じるからだと思う。

これから納税者になる若者を

このような形で育てている。

 

そしてこのようなことが、

それぞれの家庭で日本中にあり、

過去から繰り返されてきた。

こういうことは、

役に立つうちには入らないのだろうか?

 



 

もしかしてあなたもいずみみたいに

育ちが悪いの?

愛を受け取った経験が乏しいなら

まあいろいろ仕方がないね。


 

   



高齢者にイライラするのなら、

こんな超高齢化社会の日本に

わざわざ遠い国から移住したのはなぜ?

もちろん自由だけど、

日本の高齢者や障がい者・病人についての考えに

驚いたものだから疑問に思ったの。

 

 

そしてあなたは永遠に役に立ち続けられて

高齢者の年齢になったらすぐ死ぬつもりで

生きているのかな。

 

 

人のことを死ねばいいなんて言っているあなたも

歳をとったら

大切にしてくれる人々がいる

そういう可能性があるのが

日本だと思うんだけどなあ。

 

 

 

 



 

でも、こんな発言が引っかかるってことは

役に立っていない自分に思い当たり

後ろめたさや引け目があるからなんだろうな。

いろんな意味で、まだまだだなー!

 


だって彼がこのように思ってしまう理由は多分、

健康状態と身体能力的に平均以上に強い+

想像力に長けていない

という二つの特徴が合わさったからだろうと

経験から知っているのに、

しっかり反応してるからねw


自分に関係ない人が死ねと言ったとしても

自分にとって大切な人は大切にして、

そして何より自分を大切して生きていれば

いいだけのことなんだから。


 

 

 

 

 

 

 

息子がおじいちゃんにもらったがま口のお財布。

あまりにもボロいので

赤い布製品でも敷こうと思ったけど、ない。

雰囲気が似ているふくさ入れといっしょに。

奈良の中川政七商店限定品。

息子は中2だったけど

お店をとても気に入っていた。

また行こうね。


本当は、おじいちゃんお下がりの帽子といっしょに撮るつもりが、

学校に被って行っているのでなかった!