「親がいないと生きていけない」って
思い込みなんだって。
赤ちゃんが終わったらそれは卒業らしい。
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言わんとしていることは良く分かる。
いずみの意見としては、社会構造による、かな。
小学生の年齢で一人で生きていけるようなのは、
昔々のように社会構造が
かなり単純な場合だと思う。
食べ物を採ってきて
簡単な加熱調理だけで済ませていた時代なら、
狩猟採集と火おこしを覚えればもう自立できる。
10代前半で出産するなんてこともあって。
それでも親が教える事も二つだけなら
親が多方面で成熟してる必要もないから問題ないよね。
今でも世界の中にはそういう民族もいる。
でもそれを今の日本でやろうとしたら詰むよね。
社会構造は過去最高に複雑化しているから、
身につける事も山ほどあるし、この社会ゆえに
持っておかなくてはいけないメンタルもある。
そうなるとやはり周りの大人たちと過ごす時間が
たくさん必要になると思うな。
親以外の大人も含めて、
大人のやる事を観察する時間がないと
分からない事だらけの時代だと思う。
(YouTube見るとかも含めて)
で。
現代において。
いつから親無しで生きていくかとか、
何歳だから何が出来るとかは、
単純に年齢だけではなく本当に個人による
と育児の途中から思うようになった。
これはナリ心理学のナリ君が言っていたのを聞いて
本当にそうだと思った。
現に息子が、親が一切関与する必要がない部分と、
いまだにサポートが必要な部分がある。
それは人によっては小学生で不要になるサポート。
面倒だし日々大変と感じてしまうから、
文句を言ってしまうことも多々ある。
けれど、「何歳なのにこんな事も出来なくて!」
という不満や焦りは心の中にあまりない。
だって。
何歳になっても出来ないことって
親のいずみにもたくさんあるから。
成人したからって全ての事が出来る訳じゃないから。
いつまでも苦手な事ってあるよ。
だから仕方がない。
だけど今は成長過程だから、
工夫と努力でうまくやっていけるように
なるかもしれない、という可能性がある。
だから親子と学校で試行錯誤する。
親はイライラすることもあるし
本人は失敗することもある。
本人だってイライラしてるだろう。
その上で、やっぱり苦手だなってなったら
もうそういう人として生きていく。
出来ない事は助けてもらうんだ。
それが得意なパートナーと暮らすとか、
仕事ならそのように分担してもらう。
今は側にいるのが親っていうだけだ。
だから何歳になっても、
「ここの部分はサポートしてほしい」
と能動的なお願いをされたら協力すると思う。
誰に協力してもらってもいいと思うから。
だから息子も、誰に対して協力したっていい。
努力しても出来ない事に膨大なエネルギーを使わず
その分得意な事を人の分までしてあげればいいと思う。
そうすれば少しのエネルギーで
沢山の事が出来ると思う。
効率的という意味ではなくて
その方がお互い幸せなんじゃないかと思う。
それぞれが、得意を出し合って生きるんだから。
いずみの寿命はあと20年らしいから
それまでに、
自分の苦手とどう付き合っていくか
考えたらいいよ。
きっといろんな方法があるよ。
協力してもらうことによって
生まれる関係性も
きっとあるよ。
だからいい子でいるんだよ。
高校の帰り、道の駅で買った筍といちご。
筍は鮮度によるところが大きいけど
野菜が美味しい気がする。
もちろん野菜も鮮度によるけど…
1時間移動したら土も違うんだよね。
もう30分移動したら気温も違うし。
土地っていろいろで面白い。