中3息子は春休み。
母は卒業式から怒涛の数日。
卒業や受験の記事も書きたいのに書けてない。
入試から風邪気味だった息子は
とうとうダウンし、
中学生最後の記念に参加する予定だった
卓球の試合を棄権した。
親のいずみの方が残念がる。
とても楽しみにしていたから。
しかも会場が、いずみが好きな城下町にある。
何となくそこに行くのが好きなんだな。
試合の余韻に浸りながら
和菓子なんか買って帰るのが楽しみ。
決まっていた外せない予定の三つが終わり、
風邪が治ったらまた遊ぶんだろう。
おじいちゃんおばあちゃんの家に行きたい。
そう息子は言うだろうな。
いずみは会わないけど、もちろん
息子が行きたがる時は行かせている。
夏休みは三、四日毎日行った。
でも、心のどこかに
行かせたくない気持ちが僅かにあって
ちょっと罪悪感があったんだよね。
なぜ行かせたくないのか。
この記事に書いたのだけど、
まだ子どもが何も分からない年齢の時は
いいおじいちゃんおばあちゃんでも
子どもに理解力がつく年齢になってくると
いずみに植え付けた価値観を
今度は孫に植え付けようとする。
無意識も含めてね。
息子はもう、「言われたとて。」だそう。
古い人たちだからそれを言うのは仕方ない、終了。
影響を受けることも、
全てが真実と思うこともないそう。
だから一安心したはずなのに。
なぜ行かせたくない気持ちが残るんだろう?
ずっと気になってた。
それが今日ふとわかったの。
やはりまだ、
子どもが影響を受けることを怖がっていて、
それにより長年にわたって子どもが苦しむのを
かなり怖れていることを自覚した。
なんかむしろ自分がかわいそうになった。
こんなに苦しい思いをさせたくない、
でも自分はその思いをしてきた。
その上また子どものことで怖れている。
子どもを信用していないという事になるかもな。
どうしたらこの怖れを手放せるんだろう?
自分の人生を楽しくする、幸せになる、かな。
そしたら苦しんだ過去があっても大丈夫、
ってなるもんね。
上書きされることで苦しい過去を無色化できる。
あとはもう、やるだけなんだよな。
今はあっさりしたものしか食べられない息子。
こういうのがいいらしい。
秋、紫蘇の実がついた頃に作ったお茶漬け。
紫蘇の実の醤油漬け、梅、ネギなどの具に、
鰹と昆布の出汁をかけて。