この虚弱ないずみが、

運動など観るのもするのも嫌いだったいずみが、

12月中旬、

インフルエンザで撃沈しながら最初に思ったのが

「せっかく始めたウォーキング&ランニングが

 もう出来なくなってしまった。」

だった。

 

いやもうびっくりよ、走れなくてがっかりなんて。

しかも嫌いだっただけならまだしも、

怖ろしく走れなくなっていて、

もはや走っていると言えないレベル。

若い時は重度の貧血による苦しさで辛かった、

今は自分の体とは思えない程体が重くて

走れなかった。

加齢って凄いね。

だから亀ランニングよ。

早歩きした方が早いくらいの。

 

 

でもさ、初日は50mも走れなかったのが

二週間続けると

あと少しで1㎞くらい走れるようになって、

しかも、体育の時間にやっていたマラソンは

地獄のように嫌いだったのに

今はこんなに重い体で走ってるのに

楽しいっていうね。

 

 

先月息子が参加した駅伝で、

マラソンに対する価値観ががらりと変わったんだけど

その前に、息子が中学に入ってから始めた

卓球に関わるようになってから

卓球に対する価値観、というか

スポーツ全般に対する価値観が

全く変わっていた。

 

観戦するのも全く興味がなかったけど

体調不良などで試合の観戦に行けないと

もう残念で残念で仕方がないほど

試合に行くのも楽しみになっていた。

 

元々は息子に、運動部には絶対

入らないでほしいと思っていた人間がだよ!

 

そして今は自分でも卓球をやりたい。

 

 

 

 

人は変わるってことだよ。

 

 

 

 

 

 

そしてね、

人は変わるってことより重大発見。

 

 

 

 

自分が自分らしく居られていない時、

本来の自分で生きていない時に、

嫌いだと思った事や人って、

結構間違ってることが多い。

 

だって全てに対して、

そもそも前提が間違っているし、

持ってる価値観がおかしなものばかりだから、

そりゃあ好き嫌いの判断も誤って当然。

 

 

 

これまで何が変わったかな。

 

まず、卓球が好きになったでしょ。

スポーツ全般、観戦も好きになったでしょ。

マラソン見るのが楽しくなって、

自分が走り出した。

昆虫・爬虫類大嫌いだったのが

好きになって触ってる。

そうそう、料理も嫌いだったけど、 

卓球部保護者と料理の話をしたら

こだわりが強いらしく驚かれた。

 

 

苦手だと思っていたタイプの人も

実はそうじゃなかった。

はっきり物を言う気が強い人、

苦手どころか本当は好きだった。

自分が言いたい事を我慢していた時は

自分が出来ない事をしているから

居心地が悪かったんだろうな。

 

 

物の言い方より

言葉の奥にどんな思いがあるかが大切で

そこを信頼できればどんな人でも大丈夫。

 

 

 

 

そう、それでタイトルの通り、

嫌いだった事が好きに変わると

ただの好きよりハマるという!

これは何だろう?

 

 

嫌いってある意味強い思いだから、

それが反転すると好きになった時も強さがあるのか?

 

 

何にせよ好きに転じた時の面白さは格別。

嫌いな事が減っただけでも楽なのに、

その上好きな事が増えて楽しいし、

しかも強い思いだから楽しいの濃度が濃い。

 

嫌いな事なんてあっていいし当然の事だけど、

人生の途中でそれが変わる瞬間は、

新しい自分を発見したようで、

同じものが全く違って見える景色は正に別世界!

 

 

そっか、世界が変わるってこういう事か!

世界の変わり方もいろいろあるのね。





それでさ、

嫌いだった事ほどハマる感覚が快感というか

すごく面白くてね。

他に嫌いな事なかったかなって、世間と逆行して

嫌いな事探ししてた時あって驚いたわ。

でも自分としては嫌いな事は、

ある意味宝石の原石だと思うようになって

嫌いな事を全て排除する必要はないんだなって

今は思っているよ。


 

この感覚を使いこなしたら

(例えばいずみも駅伝出るとかまで進んだら)

子どもに面白いこと教えられて

二重でラッキーだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


昨日は息子を誘って

公園でウォーキング&ランニング。

これは一か月前のそこからの眺め。

小さく見える白い点々はウインドサーフィンの帆。

息子が幼稚園時代に体験させていただいた。

親だけでは出来ない事を、

こうして、あちこちで誰かのお世話になって

子育てしてきたんだな。

みなさんほんとにありがとう。