11月に考えていた事を12月に入ってすぐ書いて、
途中になっていた記事に加筆するね。
先月下旬、中三息子の三者面談があって。
こんな事を感じながら参加したので
どうも心ここにあらずだったんだ。
その事とは、
結構前から、もう、大人が子どもに
アドバイス的な事や指導的な事を
言わない方がいいのではないか、
大人がいらん事言うから子どもが間違った方向に
進んでしまったり、
何十年と苦しむのではないかと
結構本気で思うようになっていた。
大人って書いてるけどそこに入るのはいずみ。
こんな事すら解決出来ていない自分が
正しいと思って言う事柄なんて
自分で思っているよりはるかに
間違っている可能性があると気づいたら
もう怖くて何も言えなくなってしまった。
例え自覚するような問題がなかったとしても
既存の教育が今の子どもたちの進路の多くに
適している訳ではないような気がしてならず、
至極まっとうだと思われている先生の助言ですら
古く危うく感じてしまい、
学校・塾の先生方の言う事や
今の自分が言う事を
子どもに聞かせていいのかどうか分からない。
学校や塾の先生や親のアドバイスって
聞く事によって
「学校や塾の先生や親の方向に行く」
って事だよね。
いずみのアドバイスは即却下としても、
先生方のような生き方が
自分の子に向いているとも思えない。
そもそも現在の公務員の価値観が
今後の仕事に適さない事が多い気がする。
懇談の頃はこんな事でモヤモヤしていたけれど
学校や塾の先生方の考えは
現時点での学校でのやり方として参考にし、
事務的な事・実用的な事を聞く存在とする事にした。
それよりも何よりもやはり
親であるいずみ自身が要なのだろうと思った。
学校や教育に疑問があったとしても、
今のいずみが悩んでいる事って
お金が沢山あれば全て解決してしまう。
最近つくづくそう思う。だから、いい教育のためにお金を重要視するという考えをし、
それについて行動をしてこなかった自分に
一番の責任があるんだよね。
例えばさ、この辺でやってる人はいないけど、
子どもが希望する学校が遠いから、
学校の近くに引っ越すとかって
子どものためにしたっていいと思う。
親も楽だし。
それができない経済状況を自分がつくってきたんだよね。
だから
これをやってきたいずみが子どもに言う事なんて
間違いでしかない!
古くなって腐った自分の価値観より、
いやそれ以前に間違っている価値観より、
新しくてクリアな子どもの直感の方が正しいんじゃない?
少なくとも子ども自身の人生にとっては。
そんな事思うようになってね。
子どもに問題が起きた時と
出来ない事だけ手を貸して
あとは応援に徹していた方が
子どもが人生間違わない気がしてきた。
タイトルからちょっと外れたけれど、
好きでもない勉強をさせようとしたり
偏差値に縛られて学校を選んだり
向いてもいない息子にそんな事をしている自分は
何のためにそれをしているのかが
空白になっていたから
思考停止的な行動になってしまってたんだな。
子どもに幸せな人生を送ってほしい。
ただただそれだけなんだけど、
よくよく考えてみると自分がしてる事は
そこから外れる可能性が高いと気づいて
受験直前になって今の選択に迷い出してしまった。
子育てって、親の価値観と行動力で変わるね。
そして今日も悩みは続く。
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走るの嫌いじゃなくなったきっかけはこちら。
長距離走だけは今世でやる事はない
と思っていたけど、12月2日からなんと、
ウォーキング➕ランニングを始めた!
走るのなんて大っ嫌いだったのに嫌じゃない。
こんな所で走ってみる。
2日後に行ったら葉がすっかり落ちていて、
木の茂みの向こう側が見えて
え、もうここ川だったんだ!なんて驚く。
自然て同じ景色が無くて飽きない。