11月22日に中三息子の学校の音楽祭が行われた。
場所はローランドのピアノが置いてある
コンサートホール。
数年間行われていなかった音楽祭の復活、
卓球部保護者の一人がPTA役員をやっている時に
校長に直談判をして実現したのだそう!
彼女を見ていると、
従うのが普通と思っている事でも
意見があるなら言ってみればいいんだ!
と新たな発見が満載なの。
駐車場の混雑を回避するため
開園1時間前に到着したのに
息子が所属していた卓球部の
保護者メンバーたちも同時に到着。
まるでまた試合かのような雰囲気で
音楽祭を見る事が出来た。
出し物は全校クラス毎で合唱の発表。
音楽祭の決定後、委員会の発足、
指揮者・ピアノ担当・曲目の決定などが
いつもの生活にプラスされ、
そこから練習が始まった。
いずみは学校の事はあまり把握していないけれど
保護者の方から聞く話をまとめていくと
最初から最後まで紆余曲折や試行錯誤があって
地道な努力の集大成が今日の日なんだなと
改めて思った。
紆余曲折と試行錯誤、地道な努力の結果。
ねえ、こんなに生きてきて
自分の人生にこれが無いんだけど。
別にそれでいいと思ってきた。
体も弱いし能力も低いし、
頑張ってもすぐ体壊すし、
もう、楽に生きたいと思った。
でも最近は、なんてつまらない人生なんだと思う。
でも息子がうまれたしとか、
こんな学びをしたしとか、
ここでは幸せを感じたしとか、
そんな事で誤魔化すのももううんざり。
そりゃそれくらいの事はあるだろうよ。
でも、
そんな小さな事で誤魔化さなくてはいけない人生
って事なんだよ。
自分が全然納得してなかったって事だったんだ。
楽に生きたいと思ったけど
人生から逃げたくて、思考の枠も狭くて、
安心を得る方法がそれしか無い
と思ってしまっただけで
そんな人生、
本心で望んでいた訳じゃなかったんだ。
いずみは午後から参加したので
三年生だけを鑑賞したけど
どのクラスも素晴らしい合唱だった!!
あちこちで保護者の方々が涙を拭い、
生徒達が登壇する時の様子や
合唱していない時のちょっとした動き、
生徒同士で話している様子まで
いずみには尊いものに映った。
拍手喝采!!
自分の子に、クラスの子に、
卓球部の子に、全学年・全校に。
自分に対してこんな風にエールと称賛を込めて
拍手をしたことなんてなかった。
そう気づき、拍手をしたまま、
子どもたちに向けていたエールと称賛を
自分に向けてみる。
うわ、これは泣く。
涙が子どもたちからの感動なのか
自分に向けられた自分からの意識によるものか
分からなくなる。
両方かな。
しかも、自分に向けて拍手をした後の方が
子どもたちへの思いが強くなる。
自分へ称賛とエールを向けると泣けるって事は
「自分への大切さ」が足りなかったんだな。
これやってみたらいかに自分が
自分の事見てなかったか分かる。
ただ、ここまでの称賛は
努力した彼らだからこそ自然と湧いてくるもの。
あくまでもこれはシミュレーション。
自分からの称賛を得るのは努力した後だろうな。
でも、エールは送るよ。
諦めていない事を自分は知っているからね。
たとえ、諦めてしまう時があったとしても
そんな自分と共に居ようかな。
そう思ったらもう大丈夫じゃん。
どっちの自分でも自分から見放されないんだから。
手始めにこれからは自分の好きなものだけを
自分に与えよう。
自分の事を見るトレーニングだよ。
あげるためにサッと作った花束。
いつか自分に花束をあげたいな。