小さい頃から不思議な発言が多かった息子。
先日こんな記事を書きました。

 

 

 

 

ブログを始める時は、

この様な話は書かないつもりでした。

現実的な方法で、

親との関係や自分自身、夫の問題を

解決していく過程を書くつもりでした。

 

 

 

現実的な方法で物事を解決するのは

人間である以上当然の事で

それが自己を成長させるのだと

ようやく実感と共に知る事ができたので

現実的な行動が大切だという思いは

より一層強くなりました。

 

 

 

ここ二、三年の私は現実的な方法で、

現実のみを見て、目に見えない物を

否定しなければならないと思っていました。

私が問題解決をするにあたって参考にしてきた考え方が

目に見えるものが一番大切だという考えだからです。

 

その理由としては

親子関係に問題があり、

自身の価値観に問題が出てきてしまっている人は

目に見えないものに頼ると

自分で解決することが出来ないから。

 

全くその通りだと思います。

 

 

 

 




 

ところが生まれた息子は

胎内に居た時のことを覚えているし、

その時の事を話し始めたら

そこから遡って私の胎内に来る前の事、

その前の前世の事を

どんどん話すようになりました。

 

 

えらいこっちゃ。

 

 

 

幼稚園のママ友には誰にも話しませんでした。

幼稚園でのママ友は、

これまで付き合ってきた人たちよりもいっそう

枠の中で、狭い世界で生きている印象でした。

でも、毎日顔を合わせて子どもの話をして

ここで上手くやるにはこの世界のこの枠に

合わせるのがいいのだと思いました。

自分もこの人たちの枠に合わせれば

上手くやっていけると感じました。

実際見た目にはその通りでした。

 

 

 

ところがそのやり方は自分自身を

悲しませてきたのだと最近気づきました。

 

 

息子ほどバリエーションはありませんが

私自身目に見えないものの作用に

長年悩んできました。

実際にはまだ現在進行形で悩んでいるにも関わらず

新しく出来た人間関係を優先させるために

それらの事も無かった事にしなければならず

今思えば、自分を無視していた事になりました。

 

悩んでいて、助けてほしい自分の気持ちを

自分が無視していた事になりました。

そんなおかしな現象など何もない、

私は普通の人だと思いたかったのだと思います。

 

 

 

 

ブログのカテゴリーに

「目に見えない世界のこと」をつくり、

少しずつ息子の不可思議な事柄を書くようにして

もう、

そういう人でいいじゃないかと思うようになりました。

 

 

 

 

実際、日々の出来事を書いていくと

その部分だけ抜かして書くには

辻褄が合わない事も出てくるし

そもそも自分自身の中で辻褄が合いません。

私は辻褄が合わない事がとても嫌いなのに

それをやっている自分が嫌でした。

 

 

 

 

 

幼児くらいの年齢であれば

見えなくするようにしてもらえるらしいのですが

息子はとっくに間に合わないですし

成長とともにもっと見えるようになってしまいました。

 

 

 

今は、

何であんなに隠したかったのだろうと思うけれど

やはり人の目を気にしていた一択でしょう。

何ならブログでさえ

心理の方が読んでくださった時の事を意識しての事でした。

 

 

 

でも、何故か急にどうでもよくなって

これからは普通のネタとして書こうと

本当に緩んだ心で思いました。

 

 

平安京の白い龍の話などは

怖いどころか面白いと思いました。

そしてこんなロマンのある話なら

本当だろうが間違いだろうがどっちでもいい。

 

 

 

この先色々な事が分かって

霊とかなんとかだと思っていた事が

違っていたとなったとしても、

えーそうだったのー?なんだー!

で済む話だと思ったのです。

 

 

 

 












 

二年坂のちょっと手前辺りだったかな、

路面店で購入。

龍のスカジャンを欲しがった息子が選んだのは

こちらの鯉。

ちなみに鯉のハンカチもお気に入り。

好みがチンピラ。



ああ、和柄趣味ね。