自分で何も決められなかった頃

いずみも運命の人を知りたいと思った

それさえ分かれば

その人と人生を共にすれば

自分の人生は正解なのだと思った

 

 

そして一昨年のこと

通りがかりのような感じで知り合った人が

運命の人という相手と暮らしていた

 

その方は

運命の人は必ずしも自分にとって

いい相手とは限らないと言っていた

 

 

どゆこと?

 

 

 

ちょっとモラハラ気質であるその相手

いろいろ気になる事があるが

この人が自分の運命の人だからと

人生を共にすると決めていた

運命の人であるという事は

スピリチュアルな意味で

他の人から言われたらしい

 

 

 

ふーん・・・

 

 

 

 

運命の人だから、

モラハラを我慢しながら一緒にいるのが

自分の本来の人生ってこと?

とてもあなたの事を

大切にしているようには見えないけど

運命の人と一緒に居るのが本当の幸せだから

別れる訳にはいかないの?

 

 

 

 

 

 

だったら

 

 

 

運命の人とか要らなくない?

もう、運命じゃなくていいから

非運命の人を自分で選んで決めた方が

楽しそうじゃない?

運命に逆らうと神様に怒られるの?

 

 

 

何で運命の人って言葉が生まれたのか

知ってる?

いつ頃から言われ始めたのか知ってる?

いずみは知らない。

そして調べようとも思わないけど

いずみの考えはこう。

 

 

 

昔、結婚相手を自由に選べなかった頃、

多くの人が不本意な相手と結婚しただろう。

そして中には非常に辛い思いをして

結婚がただただ耐えるだけだったという人も

たくさん居ただろうと思う。

 

そんな世の中で

お寺だったり教会だったり

人々の心の救いとなるような場所で

勤務する人たち(僧侶や牧師や神父など)が

「縁のある人には必ず意味があります、

 あなたに辛い思いをさせるその人は

 あなたにとって運命の人でしょう」

なーんて言って

自分の人生に折り合いをつけて

世の中全体が平穏になるようにしたのではないか。

ってね。

 

その頃、下層階級の人々の不満を抑えるのって

その立場の人の重要な仕事だったんじゃない?

不満に気を取られず働いてもらって

沢山納めてもらわなければ自分たちが食べていけないもんね。





 

決して批判したりバカにしたりしてない。

時代を考えたらいい方法だと思うもの。

 

あと、息子がちょっとおかしな事言う子だったから

前世はあるのかもしれないと思う派で

幾多の前世がらみの関係も

あるのかもしれないけれど

だったとしても

 

 

 

もう運命の人は不要だと思う。

運命の人だからって我慢する必要ない時代だし

前世のしがらみがあったとしても

現世でそれをどうやって証明するのよ?

前世の事なんて特別な能力持った人しか

分からないのだから

大抵の人には必要ない情報ってことじゃない?

もう、そんな事に惑わされないで

自分の気持ちや意思で

決めるのが一番だと思う。

 

 

 

 

 

だから

運命の人が誰かって探しまくる事より

相手を正しく決められるように

自分がどんな人で

どんな人と居るのが幸せなのかを

探求しまくる方がずっと

自分の人生に有益なんじゃないか

それこそが幸せを手に入れる

方法なんじゃないかって

思うようになったよ。

 

 

 

 

その上で、

今の相手と居るのが幸せで

運命の人なのって言ってる人を見るのは

やっぱり大好きなんだけどね。

 

 

 












息子がまだ入園前だったか

「うちのシャワーは

 自分の好きなところにお湯をかけられて

 便利だね」って言った。


え?


「前のお家はね、壁にくっついてたの。

 お風呂も、床に置いてあったの。」


お風呂から出てすぐこれを見せた。

「こういうお風呂?」って聞くと

「そう、こういうの」



住宅メーカーに勤めていた時に

同僚がお歳暮として頂いた写真集

彼が要らないと言ったからすぐ貰った


そして

何十冊もの写真集を断捨離した中

これだけは残していた不思議


息子にとっては懐かしい景色や

室内の様子が収められている