ご無沙汰だったアメブロアプリをまた開き

馴染みのブログをいくつか訪れると

父の日ネタをいくつか目にし

あれから一ヵ月が経ったのねと思う。

お父さんの立場の方のブログは読んでないけど

母の日みたいに何もしてもらっていない事を

寂しく感じる方はいらっしゃったのかな。

 

子どもの立場の大人の方は

ちょっと憂鬱だった方もいらっしゃったよう。

そうよね。

親子問題がここへ来てクローズアップされるようになり

自分達の問題に気づき始めた人が増えて

そう思うのも増えた事でしょう。

 

すっとぼけの息子は父の日の存在も忘れてるけど

いずみはその存在を知らせる事など絶対にしない。

 

 

 

以前どなたかが、

イベントはそれにかこつけて人に会ったり

プレゼントしたりできるから

大いに利用して楽しんでいると仰ってて

仰天した覚えがある。

同じ出来事でもこうも感じ方が違うのかと。

どなたかすらも覚えてないけれど今思うと、

いかに豊かに心を育てられた人かということが分かる。

そしていつも通り

記憶の中のその人の言葉は

いずみの心を温かくする。

 

 

 

いずみの夫は父として感謝されるような要素はない。

(勿論母であるいずみも。)

それどころか父の日なら息子に懺悔しろとさえ思う。

 

 

昨年親戚宅に遊びに行った時

自宅から遠く離れた場所に安心した息子は

これまで父にされた辛い事を

少しずつ話し始めた。

 

何故お母さんに言わなかったの?と聞くと

お母さんに言ったらもっと叩くと言われたそう。

そして、たとえお父さんが居なくても

日帰り圏内では怖くて口にすることは出来ないと言った。

 

そうだったのか。

 

そうだったのか!!

 

 

そしていずみはこの時点で二重に母親失格だ。

 

 

 

そしてある程度の量を話し終わった息子は

具合が悪くなって立てなくなった。

今思うとフラッシュバックと言われるものと

忘れていた事を思い出した時のショックだったのだろう。

 

こう思ったのは最近いずみ自身に起こった

ある出来事によるもので

いずみも息子と同じようになったからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

息子が幼稚園の時、拾ってきた銀杏を植えたら

小さな木になったよ。

辛い過去を持っていても

同時進行でこんな爽やかな現実も持っている。