考えた結果、従姉妹のKちゃんに
問題がある夫との事を話せるだけ話したの。
 

 

 

 

いずみ親も問題ありなので、

親のきょうだいもそれぞれに難ありで、

そのせいでいずみや他の従姉妹が抱えている思いなども

現状を把握してもらうためだけのつもりで

前もって話していた。

というのもKちゃんは初孫のせいというのもあり

またKちゃんだけ居住地が遠いせいもあり、

祖父母や親戚からも非常に可愛がられて

他の従姉妹たちと同じような思いは

全くせずに育っているので

法事などに来ない従姉妹の状況も

知らなかったから。

 

いずみにとっては言葉や態度によって

正しいコミュニケーションを始める、

過去の人間関係においてはじめの一歩と言える。

 

 

 

 

で、その結果どうだったかというと、

上記の内容に関しては

いずみが悲しい気持ちになる言葉が返ってきた。

 

 

 

母親問題・親子関係、

ここ数年でとても取り上げられるようになり

認知度が高まってきた。

けれど人数でいったら知らない人の方が多い。

 

親や自分と向き合おうと思わなければ

どんなに情報が溢れていても

キャッチしようとは思わないだろう。

Kちゃんもそっちの人だというだけだ。

 

 

 

 

Kちゃんも他の親戚同様、

いずみが悲しい気持ちになる言葉を言う。

これはある意味自然な事で

従姉妹も親戚であり親同士がきょうだい、

その親戚たちと同じ価値観を持っていても

何ら不思議はない。

そしていずみはその可能性も十分あるとして

自分の事を話した。

けれど基本的には好きな相手なので

何もしないで距離を置くより

十分話をしたうえでどの様につきあっていくか

考えるのがいいのではないかと思っての事だった。

 

 

 

実際言われた時はがっかりしたし悲しかった。

 

 

けれどこれってさ、いずみがまだ

その言葉に反応してしまう状態にあるって事なんだよね。

「は?自分の親との事なんか自分で決めるし。

 それよりこれからどこ行くか考えよ。」

って言える自分になっていたとしたら

親との問題も自分の中で終わっているという事だろうし

同じ事言われても

カーンて跳ね返って落ちて終わりだろう。

 

ただこれもやってみて分かった事だ。

今までの事自分の事話そうって思って

同じ価値観じゃない可能性も加味した上で実行して

だからこそ感じたし分かった。

以前のいずみが同じ事してたら

ぐるぐる悩みながら何の意図もなく発言し

相手に飲まれて悩みが増える、

って事になっていたと思う。

 

 

自分でこうしようと思ってした事だし

一瞬悲しんだけど覚悟してた事だし

やってみて気が済んだから

今回Kちゃんに話した事会った事は

納得がいっている。

 

 

 

年齢を重ねるときょうだい間・いとこ間で

向き合わなくてはいけない事が出てくる。

自分達の代に代わって来たという事、

見て見ぬふりをしてきた事が

目の前にバーンと現れるという状況が

必ず来るという事。だからその前に、

話し合いが出来る大人になるとか

コミュニケーションを取れる大人になるとか

責任を取れる大人になるとか

しておかなければいけないって事なんだよね。

そしたら親戚同士で揉める事ないじゃんね。

 

 

今後のいずみの対応を息子が見る事になる。

そう思うとさ、正しいコミュニケーションぐらい

身につけておきたいと思うんだよね。


 

 


 

昨年、地面から小さな木が生えた。

変わった形状だから抜かずに成長を待ったら

今こんな花を咲かせている!

枝ぶりも花も繊細な感じ。

名前も分からない木の花。

いずみ家へようこそ。