久しぶりに戻ってきたよ。

この記事は5日と6日に書いていたものに、

終わりの部分を今から加筆するね。

 

 

 

5月4日、中三息子の卓球の試合で

終盤になって倒れてしまった。

ちゃんと安全に倒れたよ。

でもね、先週の試合の日も調子悪かったの。

毎日、調子のいい日が無かったのに

限界に気づかずに昨日になってしまった。

強制終了だと思った。

いろんな意味で。

 

 

 

 

すごく体裁が悪かったけど、

ごめーん、貧血みたいな症状で、へへ・・

みたいな感じで白状して

そこからはもう隠しようがなかった。

息子はもう試合終了だったので

まだ会場に残りたそうだったけど

帰ろうと促す。

するとみんなが口々に

駐車場まで送ろうかと言ってくれる。

その施設の駐車場が少なくて

離れた場所に車を停めているからなの。

今ご主人が迎えに来ているという保護者の方に

送ってもらって駐車場に行き、

何とそのご主人は駐車場に入って、

車の前まで行ってくれたの!

気が利きすぎじゃない?

優しくてびっくりしちゃった。

 

帰宅後、送ってくれた保護者と

必要な方々にお礼のLINEを入れた後は

一切何も出来なかった。

 

 

夜になってLINEが届く。

送ってくれた保護者から。

「体調大丈夫?

 試合続きで親もきついけど、

 しんどい時は私をはじめ、

 みんなを頼ってね。」

 

 

またもや彼女に救われた。

彼女は「ありのまま存在していい」

で生きている代表のような人。

だから彼女は短い言葉でありながら

強力な説得力をもっていずみを動かす。

 

 

多分、いずみは正しい頼り方を知らない。

我慢か依存かしか方法を知らなかったと思う。

でも、明日の試合はもう到底行けないと思った。

 

「しんどい時は、みんなを頼る」

 

何それ怖い!

一人で解決した方が楽じゃん。

誰にも気を使わなくて済むし

頼ったら返さなくちゃいけないし

ストレス増えるだけじゃん。

明日の試合は棄権しよかな。

 

「この日の試合は、来月の県大会の

 予選も含みます。」(案内より)

 

!!!

棄権する訳にはいかない!

 

 

と、思っていたら①のK君ママからLINE。

よかったら明日、息子君送って行くよ、

お弁当も途中で買えばいいし、

必要なら明日朝連絡してね

返信は不要です、

みたいな内容だった。

 

 

 

翌朝、もう降参するしかないと思って

①のK君ママに送りをお願いし、

帰りは④のK君ママに送ってもらった。

H君ママは試合の写真と動画を送ってくれて

試合に行かなくても息子を見る事が出来た。

いずみが行かなくて

手持ちの食べ物が足りなかった息子は

女の子たちが色々くれたらしい。

女の子って本当にこういうお世話が得意。

(自分が中学生の時と大違いって思う)

 

 

母親が行かなくても、試合に参加できた。

全部誰かに頼った。

なんとかなった。

何とかなる事も理解できる。

 

 

それでも、多分これからもいずみは

人にお願いするのが苦手だと思う。

 

その理由は、

このようにいずみは体の不具合が多く

また卓球についても新参者なので知識が無く

いずみが協力出来る側に回る事が無いと思うから。

頼りっぱなしになってしまうと思うから。

 

 

これはずっと自分の中での課題で

どんなに価値観の見直しをしても解決しないの。

どう考えてどの様に現実に反映していくのかが

どうしても分からない!

 

 

協力や助け合いについて、多分、

やってもらったら返さなくてはいけない、

労力の提供は平等でなくてはいけない、

と思っているからだと思う。

 

この考え持っている人も多いのでは?

となるとこの考え方の集団の中では

やはりこれが正解になるし・・・

↑これがもう既に怪しい感じだけど

(どう思われるかを気にしてるよね)

打開策が浮かばない。

 

 

 

ここから本日加筆分。思い出しながら

読み直してみると、体調悪すぎて

二日もかかって全然まとめられなかった。

脳への血流が悪いと、本当にいずみは

思考回路が回らないのだと視覚的にわかった。

 

 

 

「自分は何も出来ない」という無価値観が原因?

けれどこれって本当だし

「自分は何出来ない」って価値観でもあり事実でもある。

 

「自分は何も出来ない」って

ネガティブに聞こえるかもしれないけど

社会的な視点でいずみの事を見たら事実でしかない。

「いいえあなたは子育てをしているし

 家事も出来ますよ」みたいな

こじつけのポジティブ思考は全く欲しくないの。

 

 

あーそうか、これが欲しいのか。

 

 

数少ない出来る事をこじつけで拾い上げる事じゃなくて

何も出来ませんけど?

ふざけた子育てと

趣味の様な料理しか出来ませんけど

全く問題なく幸せで、

何の疑問も感じませんでしたし

これからもこれでいいと思ってます。

っていう「状態」が欲しいのね。

 

分かったよまだまだ、

「何も出来ない人には価値がない」

って思ってるね。

 

 

「自分は何も出来ない」って「事実」を

「無価値観」と捉えてしまっている。

さっき価値観でもあり事実でもあるって言ったけど

価値観じゃないよね。

単純に事実なのに。

それを無価値観と思ってしまっていた。

 

やっぱりどこかで

「何も出来ない人には価値が無い」

って思ってるんだよ。

けどそんな訳ないじゃん。例えば

息子が病気や怪我で何も出来なくなっても

いずみにとっての価値は同じ

息子自身にとっても価値は同じなのだから。

どの様な状態であっても、大切な人には

そのまま、存在してほしいのだから。


自分の中のこの様な矛盾。

悩み続けている人はこういう矛盾を持っている。

何故かって考えたところ、

矛盾という相反する二つの事が

自分の中に存在するという事は、

どちらかが嘘。

人ってこうして無意識のうちに

結構多くの嘘を日常的についている。

どちらかの嘘に気づかない限り悩み続ける。

だって綱引きしてるだけだから。


ここ、また掘り下げノートだね。

価値観の見直し作業だ。

 

 

 

何も出来なくても大丈夫って思ったら

人に頼る事も出来そうな気がする。

出来なくてもいいんだからね。

 

 

うううここ難関だなー!

成長するとどんどん難易度が高い事に

向き合っていかなくてはいけなくなる。

それが出来るように

自分に餌与えながらやるって

先月言ってたんだっけ。

 

 




この花が




こうなったよ。

作ったのは何かな?