最近、いずみは生き急いでいる。

ような気がする。

自分がそうしてる訳じゃなくて

急いでやらなければ間に合わない!

とでも言うように次から次へと

課題→思考→選択をする場面が現れる。

 

先週末の試合など二日間で

何セットこれがあったことか。

(課題→思考→選択で1セット)

勿論その場で終わるセットもあるし、

このセット以外で

単純に人の言葉から「学びを得た」

という受け身の気づきも含めての事。

 

 

まあ、でも。

「自分はありのまま存在していい」

と思えていない時の経験は全て無駄

と考えると行き急ぐのも無理はない。

今さら巻き返さなければいけないのだから。

別に今回の事だって

今までにクリアしていた事柄なら

ここまで印象にも残らず

過ぎ去っていただろうから。

 

そう考えると普通の事か!

じゃあ幼稚園児の話でも聞くように

しばらく続く先週末の話を読んでみてね。

 

 

17日の試合の日、

よくお話する保護者の方から

(おお、これは「Jkかわいい」

 の②のK君ママだ)

「夫婦や親子、家族間とか

 いずみさんの周りはみんな

 そんな風に話し合いが得意なの?」

と聞かれたの。

 

K君についてはこちら


 

週末の初日、ある生徒の事が問題になり

二日間保護者同士でその事について

結構話をしてきたの。

いずみは役員ではないんだけど

その生徒から直接話を聞いたのが

いずみだったから、本人の事を伝える係で

いずみもその場に居る事が多かったの。

 

そして②のK君ママはその時の事を

言っていると思われる。

 

 

いずみは心底驚いた。

 

 

 

数か月前からいずみは

自分の両親や親せきから

距離を置いているのだけど

その理由が正に

「うちには話し合いが出来る人は 

 一人も存在しない」

という理由だったからだ。

 

 

健全な価値観を身に付けて

自分の存在を肯定している人と関わり

話し合いによって物事を決めて

生活を作り上げている人の事を知ると

今まで自分の人生に

話し合いというものが存在していなかったと気づく。

 

彼らのそれは単なる感情のぶつけあいであり

自分の価値観の押し付け合いであり

相手へのマウンティングであり

話し合いの目的やゴールを

本人たちすら分かっていなかった。

結論が出ないまま、もしくは

投げやりに決定した事柄と

怒りや不満などのマイナスの感情が

増えていくだけの不毛な行為。

それが彼らの話し合いだった。

 

 

そんな事をここ数か月考えていて

いずみはこれからの人間関係は

話し合いが出来る関係を選択したいと

考えるようになっていた。

それには勿論いずみ自身が

話し合いが出来る人でなければならない。

その自分をこれから創っていこうと

決めていた事だった。

 

 

 

とても嬉しかった。

どうやら少しは出来ているみたい。

 

でも、いずみの周りに

話し合いが得意な人はいないの。

実は親もこういう風でね、

こんな風に育ったの、

だから私は今話し合い等

身に付けなければいけない事を

勉強中の身なんだよと

正直に話したの。

 

 

そして、話せて良かった。

問題になっている生徒の事、

自分自身の事、

それぞれ一生懸命話して

有意義な関係性に発展したと思う。

 

この様に生活していると

自分が生きていると感じる。

最近になってようやく

自分が生きていると感じられるようになった。

(健全に育った人はそんな事 

 感じないよ。そもそもベースが

 それだからね。)

だから今までは死んでたってことよ。

だって自分を否定し

人がどう思うかをベースに生きてたんだから

そこに自分など居ないからね。

 

 

 

環境が人を作るって本当だと思った。

 

 

だからやっぱり

不要な錘は取っ払って

エネルギーを蓄えて

そこに行ける勇気を出す行動をする!

 

シンプルにこれしかないんだと思う。

そしてこれには我慢も不満も必要なく

やろうと思えば誰だって

出来る事だったんだね。

 

 






わかりづらいし色も出てないけど

カーブを描いているのが全て虹。

小さい虹が10くらい空に映っていた日。