環境に影響を受けることについて
昨日の記事で書いたんだけど、
書きながら思ったことがあるので
忘れないうちに書くことにしたの。
最近ビビるほど忘れるからね。
忘れるだけじゃなく、聞いて。
いずみ、よく「Hnataba」って商品名の
トイレットペーパーを買うんだけど
無意識に脳内で「Tanabota」って
変換してるの怖くない?
あれ?でもちょっと縁起良さそう。
考えてみたらトイレットペーパーの商品名なんて
そう深い意味もないだろうから、
「Tanabota」でもいい気がしてきたよ。
メーカーさんいかがかしら?
自分と関わる人たちや息子と息子の同級生たちを見て
自分の行動にも取り入れてみようと
思うようになった。
また、認めたくない自分を認めることによって
人のことも受け入れられると感じるようになった。
これらは環境による影響で。
環境による影響という事は、
自分の経験によって身をもって知るという事。
身をもって知ったから自分で納得している。
だからその後の行動にも納得しているだろうし、
行動した後の結果に執着することもないだろう。
これって、事前に教えられて行動するより
いいんじゃないかなって思ったの。
「ボランティアは尊いものだから進んでしましょう」
とか、「相手の為に行動しましょう」とか、
道徳の授業や説法とかで教えがちだけど。
自分を大切にすることを知らないまま
認められたいがために
これらの教えを必死で追行しようとして
苦しくなってから回ってる事例をたくさん知ってる。
いずみもそうだったし。
もちろんボランティアや
他人の為に行動することって素晴らしい事で
だからこそいずみの心も動いて
そんな自分になろうと思った訳だけれど
認められるために教えだけ守ろうとするのは
自己犠牲的になりがち。
すると相手の反応がいまいちだったり
感謝されなかったりして
自分の期待通りじゃなかった時に
相手への不満が生まれてしまう。
これが不満を生む善行にあたる。
もちろん教育で知識を入れるって
すっごく大事だけど、それなら
教える順番変えても良くない?って思う。
人って経験によって自ずと
道徳や説法で教わるような事を学ぶ。
だとしたらまずは、
自分を大切にするとか
自分の気持ちを尊重することを
やっておいた方がいいんじゃない?
子どものうちって子どもらしくある事が大切だと思うの。
それって自分の気持ちで動くこと。
健全な環境の中で
それを思いっきりやりつくせば、
道徳や説法で教わるようなことは
自然とできるようになると思う。
だってもう満たされているんだから。
自分が大切って分かったら
同じ様に他人も大切って理解できる。
(他人も他人にとっては自分だからって)
いずみは大人だからこうして理解できたと思うだろうか。
子ども舐めちゃあかんで。
絶対出来ると思う。
今の子たちってほんとすごいの。
こうして言語化できるかどうかの違いだけで
行動できるまではすぐだと思う。
だから大人がするべきことは
健全な環境を提供することなんだろうな。
だから大人たちは一刻も早く
「自分が自分のままであっていい」と
思えるようにならなくてはいけないって
ことなんだよね。
と自分に言い聞かせる。
「ナリ心理学講座」で
「そのままの自分で存在していい」と
思えるようになるために、また、
その先の人生を最高のものにするために
努力している人たちがたくさん居るんだって
実感した。
いずみは決めている。
この努力だけはやめない。
どんなに間が空いてもブログもやめない。
そして息子が大人になった頃ブログを読んで、
この未熟さに大爆笑したい。