「毒親サラブレッドが創造したのは

 残念な生き物なのかそれとも」

の続きがあったからそれを書くね。

 

 

内蔵に穴があったり管が細かったりで

支障をきたしていた息子。

 

生まれた当初それを知った時は

息子の将来を案じて

不安で仕方がなかったし

いずみの体から生まれたから

こんな体で生まれてしまったのかと

罪悪感でいっぱいだった。

 

 

最近になって新たに

胃にも穴が開いていたと分かり

またしてもトップレベルの

ショックを味わった。

ぞっとした。

 

いずみの体から生まれたから

その様な状態で生まれた。

そしてそれは事実だろう。

それも自分で感じた。

 

 

 

けれどいずみは、

いずみを責めることはなかったよ。

いずみが創造した体だけど

いずみは何も悪くない。

もちろん息子も。

 

いずみの状態で子どもを産んだら

そうなる医学的な理由が

あるのかもしれない。

けれどそれは誰にも

分からなかったこと。

 

 

 

息子の不完全な体は

いずみの弱い体みたいに

大変な思いをして

辛い人生になってしまうのではと

案じていた心は いつの間にか

 

不完全に生まれた体に

自分の生活を

自分の人生を

合わせていけばいいだけのこと

 

子どもの幸せとその体は

何ら関係がないという事を

分かるようになっていた。

 

 

 

息子の体を認め、

息子の人生を信じられる。

子どもを信じるって、

こういう感覚なんだ。

信じるという感覚そのものが

初めてなんじゃないかな。

 

 

 

こうなれた理由はすぐに思い当たった。

今、いずみは

自分の虚弱さを認めている。

もうこればっかりは仕方がない。

他の人は出来るかもしれないけれど

いずみは無理。

それについて自分の事を責めないし、

罪悪感も感じない。

 

 

 

自分の弱い所を認めているから

子どもの不完全な所も認められている

 

 

 

そしてこうなった理由もちゃんとある。

「そのままの自分を認める」を

必死に思い込ませたわけじゃないの。

体が丈夫なのが良くて・正しくて

体が弱いのが悪くて・間違っている

訳ではないという事を

いずみが理解できたからだ。

 

 

 

新しい設計図を描けばいい、

なんて余裕ぶっこいた発言が出来たり

不完全な体で生まれて

サグラダファミリアみたい、

なんて余裕ぶっこいた発想が生まれたり

 

そんな自分がいる事を

13年前のいずみに教えてあげたいよ。