「ものすごくショックだったこと」
の記事を書いていた時、夫から電話があった。
頼まれごとだ。
夫は7/16(土)夜、出掛けてカバンを失くした。
身分証明書・携帯電話・鍵も全部無い。
侵入される恐れがあるため、
鍵屋に連絡して鍵を新しくしろと言う。
俺は拘束されていて忙しい。
お前は暇だからお前がやれ。
お前は手配する時間がある。
(夫も毎日6時か7時には家に居て、
週に2・3回は飲みに行くぐらいの「忙しさ」
昨日・一昨日も休みで在宅)
結婚して十数年、夫が、誰とどこで何をしているか一切知らない。
どこで失くしたのかを聞いても言葉を濁す。
断った。
時間はある。出来る。
けれどいずみの中で決意したことを守るために、
電話番号をメモしろとせかす夫のペースにのらなかった。
「夫が泥酔したことによる失敗の責任を私が取らない。」
呆れるくらい当たり前のこと。
もちろんずっと抵抗はしてきた。
けれど恐怖からやってしまっていたことも多々あった。
今後は、夫の責任をいずみが取らない。
「嫌な事をしない、好きな事だけをやる」
ここ数年よく言われるようになったこと。
正確に実行するには、これって初心者には難しい。
極端に言うと、嫌な事やめるからって、育児しないとか、
税金払わないとか出来ないじゃないですか!!
みたいな思考になる人も多いらしいの。
提案してる側はそんな事言ってるわけないんだけど、
嫌々やって不平不満不機嫌の人が
その真意を理解出来るためにはそれなりの知識が要ると思う。
そして育児や納税しなくていいのかとか言ってる時より、
ちょっと大人にならなくてはいけない。
いずみも最初は分からなかった。
分かったことの一つが、今回のように「断る」。
「やりたくない事」を「やらない」と「伝える」。
今回のような場合、相手が恐怖の対象なので言うのに勇気が要る。
時間もあるしやった方が相手も怒らないから楽だ。
けれど断る。なぜか?
それをやることによって自分の自己肯定感が下がるからだ。
泥酔して失くした物の手配や雑用を、相手の代わりに
何の抵抗もなく引き受けてしまう自分。
その程度の自分、
それをしなければ生きている価値のない自分に
ならないために断るのだ。
帰宅後は嵐だろう。
そう思うとやってしまいそうになるところを断る。
これが、「嫌な事をやらない」の、
数ある中の一つ。
毒親育ちらしく非常に低いレベルの例で申し訳ないけど、
嫌な事の中身の一つは、
それをやることによって自己肯定感が下がること
だと思っている。
断り続けることによって、
酒での失敗については助けてもらえないんだ、
と相手は、(もしくは相手によっては)理解する。
人がやりたくない仕事をどんどん振られる、
とかもそう。
断り始めは抵抗に合う。
いずみの場合帰宅後の嵐。
仕事の相手だと何でやらないのよと言われる。
それも含めて断る。だから勇気が要る。
けれどそれが自分のための勇気。
嫌な事やるためにエネルギー使うよりいい使い道。
最初は意識しながら一つずつ、
こうして意識してやらない事を増やしていく。
その積み重ねで、
「こいつにやらせればいい」人を卒業。
はーしょーもな!
断るなんて園児でもできるわ!!
むしろ園児の方が得意だわ!!
でもそれが出来ないのが
「自己肯定感の低い人」
なのよー。
毒親の呪いなのよー。
呪いは禊で祓うしかない。
ってことで、呪われてる人、
「いざ、断りの禊」よー!!