身近な人の死や病気、飼育していた虫の寿命。
そんなこんなで死について考えた一か月だったという話なんだけど。
好きなミニマリストさんのVoicyのテーマで、
終活があってね。
それを聴いたのもきっかけの一つだったな。
その方はいずみより若いんだけど、
頭がいいのと精神的成熟度が著しいので、早くから終活をなさってる。
精神的成熟度が甚だしく遅いいずみにとって、
全く関係ない話題ばかりに思えつつもいつもその方の記事を読んでいたのは、
著しいその方と、甚だしいいずみのこの差は何だろうと思ったことが一つある。
本来、終活って誰にとっても関係ない話ではないはず。
だって絶対死ぬんだから。
絶対って言葉使っていい順番、一位が「絶対、人は死ぬ」だと思う。
関係ないって思ってるとしたら。
①若くて遠過ぎる未来に感じる
②自分の人生を人任せにしている
③まだ、どう生きるかに集中しなければいけない
(もしくは手一杯)
この三つかなと思うようになった。
そしていずみは、①から③を順番に経験している。
もしかしたら、まともな親に育てられて精神的成熟度が正常な人ならば、
①を経験するだけで自分が死ぬ時の準備をするのかもしれないと思う。
けれどいずみは、まだ①の状態だから終活が出来ない。
ということがわかった。
もっと前はそれすら分かってなかったからね。
なんかもう情けないというか、
ばかってどうしようもねえな、とつくづく思ったね。
でも、ばかなりにそこまで理解し呆れたところで、
「でも、絶対死ぬんだし、終活が出来る状態にする」
に持って行くしかないんだな。
これね簡単じゃないんだよ。
終活(何でも)始められない状態ってことは、すんごく、
やりたくない事がその前にあるってことなんだよね。
短期間に、個人レベルでは多くの人が亡くなった。
安倍元総理のことも衝撃だった。
伯母の癌が見つかった。
発見から手術までが短いから、内心焦っている。
でも、伯母にも寿命がある。
同様に、いずみにも寿命がある。
ここ一か月の出来事で、やっといずみは
それを自分のこととして考えることができた。
「ヤブチ」のことで学んだように、
伯母に対して後悔のないように向き合うにはどうしたらいい?
自分の寿命が近いとしたら、
今、こうしていることは自分がしたいと思ってること?
これらの問いに 正確に答えられる自分に
なりなさいってことだったんだろうね。