重めのタイトルなのに

すっごいくだらないことが気になるいずみです。

 

なんかまた梅雨に戻ったみないな最近。

梅雨時期の洗濯物を早く乾かすワザでよく、

脱水後にバスタオルで水気を吸い取って・・・

ってあるけど。

それに使ったバスタオルでまた洗濯物増えるけど、

それはいいんだ?

 

そのバスタオル早く乾かすワザはあるのかな。

なんかもう、乾かすワザの無限ループよね。

 

 

 

さてタイトルについて順を追って書くと。

ここ一ヵ月くらいかな、

身近な人の死や

これはもしや死についての覚悟が必要な状態かも、

という内容の話をやたら聞く機会がありました。

(そんなんもあってブログタイトルについても考えた。)

 

今のところ、私が葬儀に参列する機会はありません。

コロナのことがあり、同級生の親レベルの関係だと、

もう葬儀に参列しないのがスタンダードのようになってる。

 

けれど一月の間にこうも多いと、

否が応でも人の命について考える。

 

よく送り迎えしてくれた同級生のお母さんが亡くなった。

その子の妹も亡くなった。

よく遊びに行っていた子のお母さんは一周忌。

そこでは、それこそ否が応でも残った親族と

向き合うことになる。

 

 

そんな中、大好きな伯母の癌が判明した。

最後に会ったのは三か月前、息子の

中学の内祝いを手渡しに行った時。

伯父に持病があるため感染リスク防止を考え、

すぐにおいとましたためか、

変わった様子はないように見えた。

 

けれど、歳のせいで痩せてきたと

伯母本人が言っていた。

 

二週間前、丸二日かけて全身の検査を受けたらしい。

あんなに元気で頭もしっかりして、

話していると高齢者とは思えないほどの伯母。

私は、気が緩むと泣きそうだ。

この病気によってすぐに

死ぬと決まったわけではないのに。

 

 

 

7月12日の夜、息子がその伯母の家に

遊びに行った夢を見たと言った。

私おかしい。

もうそれを聞いただけで動悸がする。

息子は、伯母の癌のことは知らない。

 

伯母夫婦は、A棟B棟と分かれているタイプの

マンションの最上階に住んでいる。

棟が離れているため、

同じマンションがもう一つある事を息子は知らない。

 

その夢というのが、久しぶりに、

おじちゃんおばちゃんの家に遊びに行った夢だったそう。

 

「でも普通に遊びに行ったんじゃなくてね、外壁を、

 こうやって登っていったの。(スパイダーマンみたいに)

 でもね、そこおばちゃん家がある方のマンションじゃなかったよ。

 だから会えなかったよ。」

 

 

「会えなかったんだ、残念だったね。」

 

 

 

いやもう、「残念だった」にしてはいけないような、

このままではいけないような、

何かわからない気持ちが今心の中にあるんだよね。

そしてそれは、伯母のことだけでなく

自分自身にも向けられているということなんだよね。