先週のこと。

中間テストで筆箱忘れて、

お茶だけ持って登校した息子。

学校でなにをしに行ったんだろう。

 

 

で、いきなりヘビーな内観↓

 

「治らなかったらどうしよう」

絶対にあるこの気持ちに触れないで、

前向きに治療をすることがプラス思考の行動だと、

以前のいずみは思っていただろう。

実際に、そうしないと前向きな行動はとれなかった。

(表面的な前向き行動。やらせの前向きな行動)

 

今回いずみは、医師の言葉に対して

ちょっと攻撃的な感想を持ったことで、

自分の不安に気が付いた。

 

「治らなかったらどうしよう」

のその先の、

「将来、体のことで苦労させたくない。」

この思いを静めなければ、不安は消えないだろう。

 

もちろん、親が子の健康を願うのは当然の事。

ただいずみの場合、自分の体が弱くて辛かった感情が

上乗せされている。

痛かった、苦しかった、悲しかった。

長年の事だし、これもまた仕方がないと思う。

 

なので、起こる現実によって感情が揺れた時、

ああ、また過去の事で不安になってるな、

と自覚し、

 

厄介な体質や性質は

人生の幸せとは関係なかったんだ、

とその都度思い返す作業を繰り返す事だ。

 

子どもの具合が悪ければ親は悲しい。

見ていると辛い。

それは当然で、そうなっていい。

 

だけど、

それによって子の幸せまで案じる必要はないってことだ。

「体に不具合いがある」=「不幸」を順に手放し、

いずみ自身も、今の体で、爆裂に楽しい人生を作るのみだ。