う~ん、皆さん絶賛ですが私は合いませんでした。

君の名は。」



東京に暮らす男子高校生、瀧(神木隆之介)
飛騨に暮らす女性高校生、三葉(上白石萌音)
瀧の憧れるバイト先の先輩、奥寺(長澤まさみ)
三葉の祖母、一葉(市原悦子)
三葉の妹、四葉(谷花音)

新海誠監督の作品は初めて鑑賞しました。
8月夏休み最後の日、映画館で一番広いシアターが満席。

アイドル系でない邦画でこんだけ中高校生が押し寄せてるのは
ある種壮観。

観終っても周りは「よかった」「感動した」「素敵やった」と
手離しで絶賛の嵐。

確かに細かく書き込まれた背景、何とも言えない光の描き方は
すごく綺麗で「よかった」

シン・ゴジラと同じようにリアルな東京が映し出されてて、
東京をよく知ってる人からしたらより親近感が湧くと思う。

だけどそんな親近感湧く東京の描き方と、場所場所の距離感が
全くおかしく描かれてる田舎の描き方に違和感。

オープニングもTVアニメみたいで、そんなとこで尺使うから
大事なとこをはしょる事になるんやん!と観終わってから
怒りがじわじわ湧いてきた。

瀧と三葉、入れ替わって生活するコミカルな前半から怒涛の展開を
見せる後半へ。

そして美しい彗星が引き起こすある事件、その後。

私は途中でオープニングの場面を想い出してオチが判ってしまい
もう入り込めなかった。

なぜ監督は最初にあの場面を入れたんやろう?セリフだけで
あやふやにしておいてくれたらまだマシやったのに。

ただ単純に私がリアリストやから感動しなかったんではなくて、
アニメやから矛盾なままストーリーを終わらす事をよしとする
事が残念すぎた。

以下内容に触れてます。(矛盾点を突っ込みまくってます)








































まず入れ替わったらスマホに日記をつけるという設定なのに、
なぜ日付を見てない?

3年ものタイムラグ、東京でも田舎でも一切TVやネット見て
なかったの?

三葉は瀧にデートマニュアルをネットで調べて添付してたやん!

それに気づかないのをよしとして物語を進めてる事自体が観客を
なめてる。

瀧が奥寺先輩とデートで行く東京の国立美術館

外観

カフェ


画像はお借りしましたが、映画内のアングルと同じような。

その美術館で瀧が立ちどまった「飛騨」のクレーター湖の写真。
3年前に彗星が落ちた場所なのに、この場面では瀧も奥寺も何も
言わない。

普通村が消滅したほどの災害の場所付近の写真を見たら、
誰でも何かを口にするはずなのに、完全スルー。

これって「悲惨な災害を忘れた」という事?

ネタバレなしの時に書いたオープニングの映像。

あそこでもうネタバレしてるから村の消滅を知った三葉(瀧)
の行動に緊迫感を感じられなくなってしまった。

宮水神社のご神体のある場所は山の遥か高い場所、周りに雲が
あるという事はかなりの標高。

そんな場所に軽装の三葉・四葉に80歳を越えた一葉は登って
行けるの?

後半に三葉(瀧)がご神体の場所に行って麓に帰ってくるけど
いくら途中自転車使っててもかかった時間が前半三人で行った
時間と全く違っておかしすぎ。

巫女の血筋である宮水家、一葉も二葉も入れ替わりを経験してる
それを普通と感じてる一葉がなぜ三葉の彗星の話を信じないのか?

信じてなかったのになぜ役場に四葉と一緒にいたのか?

そして三葉のお父さん、元々考古学者⇒神主⇒政治家
(歴史が変わってからの週刊誌に書いてあった)
考古学者で糸守町に調査に来て二葉と出会って結婚して神主に
なって、二葉が死んで政治家になったの?

そんな前職ならばご神体に書かれた彗星も知ってたやろうし、
クレーター湖の原因も知ってた(てっしーが言ってた)やろうし
なぜ三葉の言ってる事を最初信じない?

ここの部分をきっちりと描いてたなら私も納得して見れたかも
しれないけど、この大事な部分をはしょってしまったから
ご都合主義と思ってしまった。

もし描いてたけど時間の都合上カットしたのであれば、上記の
お父さんの前職は見せないでいて欲しかった。

そうすればただの地位が欲しいだけの人で納得できてたのに
考古学者という部分がひっかかってしまってモヤモヤしてしまう。

歴史が変わって人は助かったけど、村が消滅した事に変わりはない。

ご飯屋のおやじさんだけが糸守が無くなって寂しい感じを表して
はったけど、それ以外に一つの村が無くなる=何人もの人の
生活や故郷がなくなるという悲しみは全くでてこなかった。

まぁ監督にとって大切なのは三葉が助かるだけで、その他の事は
興味なかったのかもしれないけど。

ここでも人は「忘れる」という事を監督は強調したかったの?

なんか庵野監督が人や震災の事を丁寧に描いた「シン・ゴジラ」と
正反対な表現がとても嫌な気持ちになった。

三葉が3年前に亡くなってると判った時に思い出したのは
「イル・マーレ」と「バタフライ・エフェクト」

両方共時間を描いてる実写映画、イルマーレは生きてる時間軸が違う
バタフライ~は好きな女の子を救う為に男性は悲しい選択をする。

イル・マーレもバタフライ~も助けるのは一人だけやけど、今回は
何百人にもなる。

そこまで歴史を変えてしまったら、何か揺り戻しがあるのが
お約束やけどそれもない。

お互いが何も覚えてない、ただ何か消失感があるだけの日々。

あのラストやけど、あれから単純に進めるのかな?

それを単純に「恋だから」「運命だから」と感動できない私やったわ。

もし実写でこの映画を撮ったら絶対「リアリティがない」とか
「脚本が破たんしてる」とかバッシングされるはずなのに、アニメだと
全てが「ファンタジーやから」とあたかも免罪符のように許される。

でもアニメのファンタジーってそういう事ではないと思うのは私だけ
なのかな。


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