前の前の記事で公文の先生と論争(大ゲンカ)になって辞めた話を書きました。

 

「分からない」と言っているのに「先へ行けば分かるようになる」「自学自習」「3年先へとにかく早く!」という先生と噛み合わなかったのは、「分からない」が「だから嫌い」に繋がる事がイヤだったんです。子どもの「今、困っている」「分からない」につき合ってもらえずに、先に進む事に何の意味も感じなかったです。

 

ただ、「先取り」が無意味だとは思ってはいないです。矛盾してるみたいですが、本人の意欲で先に進めるのは大賛成派です。公文教材だって、本人が面白くって納得して爆速で進めていけるのなら、それは良い事だと思います。

 

例えば、中学受験のような明確に「この時期までに、ここまでは分かっていたい」という、タイムリミットがある場合は、多分、大人主導で積み上げていくのが早道なのだと思いますし、私には無理ですが、計画的に進めて行かれてるんだろうな・・・と、なんとなく思っています。

 

公文の記事をたくさんの方に見て頂いたようなので、地方の中でも田舎で中受のない世界線、自分はどんな風に考えて子育てしてきたかなぁ~と思い立ち。長文を書いてみました。老害臭が気になる方はスルー推奨です。ごめんなさい(汗)

 

 

私の子育ては「とにかくいろいろ体験」して、その中から娘が「興味関心があること」を一緒に学んできました。

 

我が家は夫婦とも一応大卒ではあるけれど、いわゆる遊学派でしたのでそれほど知識も教養もない。ダメな自覚があるので、娘が興味を示した事で、分からない事や知りたい事があった時には「その道のベテラン」の人に伺いに行ったり、本で調べたりしました。図書館、科学館には何度も通いました。図鑑や辞書も一緒に開いては調べていました。

 

そうやって、虫やら石やら星やら工作やら音楽やら、いろいろ調べていくうちに、気が付けば「あそこで見た事ある!」「知ってる!」ことがたくさん出てきました。既に経験から「先取り」されている知識が学校での勉強と結びついて「面白い!」と感じたようです。特に理系分野はいろいろと知っていたなぁ~。

 

体験が先にあるので、勉強のイメージがしやすく、繰り返す事で定着していったのでしょう。

 

近くで「無料体験イベント」があれば悉く参加して、その中から娘が興味関心のある事を一緒に深堀りしていった結果、なんだか知らない間に親を超え、やたらと知識が深くなり、関連した事にも手を出していく事で気が付いたら理系分野はかなりの「先取り」になっていたように思います。ハンダ付けしてラジオを作ったりもしたな。

 

知識や経験としての先取りがモチベーションに繋がるので「興味関心」が基本ではあったのですが、学校で習う教科学習もとても大事だと思っていました。片方だけよりも、両方が上手にバランス良く繋がることで、より先に進めたように思います。学校での学習は全ての教科を網羅してまんべんなく提供してくれるので、独りよがりにならない知識の土台を学ばせてくれているのだと思います。

 

「給食」と一緒で、あれもこれも、家では食べなかったものも給食で食べてるうちに食べれるようになったり、家で出ない料理を食べてみたら好きだったり・・・という感じと同じ? まんべんなく食材を使い栄養バランスが考えられた食事と同じようなものだという認識です。親だけではできない事を、学校という集団の中で集団の力を借りて育つ貴重な体験。

 

 

余談ですが、私は塾で先取りをしている子ども達の中で、先取りをしているゆえに学校の授業をバカにして騒いだり手を抜いてしまうタイプの子が伸び悩んでいる姿を見聞きするたびに、「多少先取りをしたからと言っても人間は忘れる生物なので授業を有効に活用すれば定着する可能性が高いのにそれを怠っているのはモッタイナイな」と、とても思っていました。

 

 

私はあまり勉強が好きではなかったのですが。家族でいろいろな所に出かけ、嬉々として学ぶ娘と一緒に学んでいるうちに、いろいろな分野の「個々の知識」が集まってきたある瞬間に、パズルがバシっと合ったような「分かった!」「そうだったんだ!」という衝撃的な学びの体験をすることができました。

 

コレは、本当に自分にとっては衝撃的な出来事で。それまで、漠然としていた知識が、ある一瞬で繋がって組みあがって立ち上がって見えて、心底、ビックリしました。

 

なるほど。学ぶって、楽しいのね。

 

 

ヘレンケラーがサリバン先生に「水」を教えてもらって「言葉」という概念を得て「ウォーター!!!」と叫んだ話(ガラスの仮面より)を思い出して、多分、自分にとってはそのくらいの衝撃でした(笑)

 

ブラタモリもそんな感じですよね。いつも見慣れた風景なのに、その土地がどんな風に出来てきて、その土地の文化がどう出来て、歴史と人がどうその町と今の景色を作っていったのか。知識があり、観方が変わると、見慣れた風景なのに全く違うモノとしての理解になって面白い! 

 

「うわぁ~!!! 面白い!!!」って思いました。思いませんか? そこのご当地グルメがそこにある必然に心躍りました(笑)

 

 

娘は折々で、いろいろな体験をしたり教えて頂きながら、この「うわぁ~!」を積み重ねて今に至っているようです。

 

「分かった!」喜びの中毒になってしまったのかな(それはそれで行き過ぎの感は否めないけれども)
 

 

「学ぶは楽しい」 自分が子どもの頃に知りたかったです。

 

「私の子育て」を書いたつもりでしたが、「私が子どもに育てられた」話になってしまいましたね(汗)