8年越しの花嫁の原作『キミの目が覚めたなら』を読みました。
いつも健さんの映画を観る時は、予め原作を読んでから観るのですが、今回この『8年越しの花嫁』は真っさらな頭で観たかったので読まなかった。
読んでから観るとどうしても『あ、ここはそうまとめたのか〜』とか『あ、この人物は端折ったのか〜』とか気になってしまう。
そんな余計な気持ちをこの映画には持ち込みたくなかった。
そして、映画を観て本当に感動した。
でもそうしたら今度は『実際』はどう回復していったのか、が気になった。
そして、自分が息子二人の母親だからか、尚志さんのご両親が映画では出てこなかったので、どうしても尚志さん側の話が知りたかった。
自分の息子がいつ目が覚めるかわからない婚約者をいつまでも待ち続けると言うのを聞いたご両親はどんな気持ちだったのか。
すごく気になった。
『自分の息子が信じているのだから、息子の好きにさせる』とか思っているのか?などと、思ったりして映画を観ていた。
原作を読んでやはり映画と実際の状況とは違っていた事を知った。
映画では麻衣さんは意識がなかった時も痙攣はしていたけど、目は開いていなかった。
でも実際には開いたりしていた。
でもそこには意識はなく、反射運動的な感じで瞳が開いていただけ。
それは一瞬の喜びでもあって、その反対にがっかりしたことでもあったのかもしれない。
一進一退、いや違うか二進一退くらい?
そんな状況の中でご家族が占い師や霊媒師などに頼らざるを得なかったほどに、いつ抜け出せるかわからないトンネルの中で何かにすがりたくなる程の精神状態だった事。
それでも誰一人も麻衣さんが目を覚まさないとは思わなかった事。
必ず目が覚めると信じていた事。
そう、誰一人として。それは尚志さんのご両親も同じだった事。
麻衣さんのご両親と同じように、尚志さんと同じように麻衣さんの目が覚めると信じて願っていた事。
お互いのお母様同士で話された事、お互いの思いを思い合って涙した事。
私が親の立場だからか一番号泣した所でした。
本当に尚志さんのお母様も麻衣さんの事が大好きで心から目覚める事を願っていたんだとわかって、麻衣さんの事をすっかり娘同然に思っていたようで、嬉しかった。
『息子を信じていただけではなく、麻衣さんを信じていたのだ』と。
そして、信じて日記や記録を残しておく事で目を覚した麻衣さんの記憶を戻す手助けになっていた事。
本当にすべての人がそれぞれみんなを支えていた事。
麻衣さんだけじゃなく、尚志さんだけじゃなく、麻衣さんのご両親やご家族、尚志さんのご家族みんながみんなで支え合って愛情深く思い合っていた事。
皆さんの手紙から深く感じた。
そしてそれが全ての奇跡を生んだんだと。
そして、綺麗事だけじゃなく、リハビリが嫌でズルや駄々を麻衣さんがこねたりしていた事。
尚志さんの事も最初は誰だろう?と思ってはいたけど、何となく思い出していった事。
そして、やはり記憶を取り戻していく中で自然に尚志さんと一緒になる事は当たり前だった事。
全ての人の思いが出来事となって奇跡となった事。
諦めない。信じる。信じてくれた事に応えて自分も諦めない。
それが奇跡になる事。
当たり前の事が当たり前ではない事。
そして、当たり前ではなくなった時に、当たり前をどう取り戻すのか。
それは単純だった。
『信じること』『諦めないこと』
私も病気ではないけれど、震災で当たり前である事がどれだけ幸せなのかを痛感した。
当たり前ではない生活をしている時に、家族同士でも心が荒んでヒドイ事を言ってしまう事がある事。
病気と震災は違うけど、少しだけ自分の過去の気持ちを思い出した瞬間でした。
私の言葉では全然足りない。
でも、これだけは確かだ。
『お互い信じること』『お互い諦めないこと』
そして、本当の奇跡は尚志さんと麻衣さんが出会った事だな。この二人だったから起こせた奇跡。
きっと、色んな形で誰にでも奇跡は起きるかも知れないな。
そして、ちょこっと私の中でのもう一つ小さな奇跡を感じた所。番外編的に(笑)
『パリラ』
本当にあの絵とパリラはそっくり!
奇跡だ!!

麻衣さんが『○リラ』の○の所に『パ』と書いて『パリラ』にしたら、皆から『ゴリラ』じゃないの?と言われると『違う。パリラ』と言って犬の絵を書いたエピソード。
そして、麻衣さんのセラピー的な意味を含めて犬を飼うことにした時に出会った麻衣さんの描いた『パリラ』にそっくりな犬がいた事。
名前は勿論『パリラ』!
なんて素敵なエピソード!!
こんな奇跡も起きてたんですね。
映画を観て感動した方。
是非、元となった原作を読んでみて。
また違った感動があるから。