先日、次男が転院をしました。

 

次男の退院、再入院のバタバタはこちら

 

 

 

 

最初に入院していた病院にやっと戻ることができました。

 

最初に入院していた病院は、自宅と私の勤務先の間にあり、仕事に行く前に寄って行けたんですが、

 

輪番で入院した病院は、自宅から車で1時間。渋滞するともっとかかる。

 

とにかく不便で不便で。

 

息子も信頼関係ができていた前医に戻りたいとずっと願っていましたが、

何せこのコロナ禍。

クラスター発生につき、入退院全てをストップさせているとのことで、

転院まで3ヶ月を要しました。

 

3ヶ月前、リスカをして救急車を呼び退院3〜4日後(もう詳しく覚えていない)輪番病院に再入院

 

退院した日のことを思い出す。

 

退院するって決めたけど、迎えに行って不安に襲われた。

本当に大丈夫なのか、この子を連れ帰って大丈夫なのか、と。

 

手はずっと振戦していて、目は合わない

眼振が強く声も震えている

 

絶対おかしい

うつ病、気分障害、社会不安障害だけでは片付けられない何かがある

 

落ち着かなくて座っていることすらもできない

 

絶対何かがおかしい

そう思いながらも連れ帰ったのが間違いだった

 

ドタバタを乗り越えやっとの転院

 

夜勤明けに転院先に10時半

 

私一人の力では絶対無理なので、父に息子を迎えに行ってもらう(息子にとったら祖父)

 

転院先で見た息子は

 

以前よりも精神疾患が進行した、完全な精神疾患患者でした。

 

その時に確信しました。

 

このこはうつ病だけじゃないって。

 

説明できない手の振戦、眼振、声の震え、落ち着きのなさ、突進歩行

 

何か違う。

 

入院手続き後、主治医からの病状説明が。

 

そこで告げられた新しい病名

 

それは

 

「パーキンソン症候群」

 

でした。

 

それを聞いた瞬間、全てが納得できてふっと落ちました。

 

そっか。パーキンソン症候群だったんだ、と。

 

一般的には薬剤製と言われていますが、

 

息子の成長を思い返すと、落ち着きのなさ、手の振戦、声の震え、突進歩行などは幼い頃からありました。

 

特に歩行に関しては、つま先歩きしかできなくて、足を全部地につける事ができなくて、

これが発達障害のサインなのかな・・・って思っていたけど、

 

今から考えると、今でこそパーキンソン症候群という病名がついたけど、

 

幼い頃から、パーキンソン病のきらいはあったのかもしれません。

 

本人、眼振がひどく物を見るのがとても辛いと。

 

幼い頃から斜視で、兵庫県立こども病院で診察を受けていて、

アイパッチ治療で良くなっていたのでOPをしなかったんですが

 

今になってさらにひどくなり、もう病気が病気を呼んでいる状態で

 

あの子の姿を見るのも辛い。

 

息子のために作ると決めたグループホーム。

 

でも、このこがあの場に帰れるようにはなるんだろうか。

この子は一生病院暮らしになるんではなかろうか。

 

そんなことを考え、ちょっとの間落ちていました。

 

私が今やろうとしている事は、ただの自分のエゴではないのか。

息子のため、って言いながら自分がやりたいからやっているだけでは。

 

起業をするために忙しくなりますます時間がなくなり息子と向き合う時間が減っていく

本当にそれでいいのか、と悩んだ 一週間

 

いや。

本当にパーキンソン症候群なら、薬を整理して訓練すれば良くなるはず

もし、若年性パーキンソン病だったとしても

 

息子の帰る場所として準備するグループホームは

息子だけではなく、絶対他の人にも需要はある

 

私と同じようなお母さんの力になるために

以前の息子と同じ思いをする子が一人でも減るように

精神疾患の人がしっかりと生活と仕事の訓練をして世の中に戻れるように

 

そのお手伝いをするのは、

私の一生の課題なんだ。役目なんだ。

 

そう思い直し、やっぱり邁進しよう。と思い直すことができました。

 

看護師なのに、パーキンソン症候群の可能性に気づけなかった私

何かおかしいで止まってしまっていた私

 

自分を責めるところはあるけれど

これからの彼の未来が、少しでも光り輝くように

 

小さな幸せを感じられるように

 

今は辛いだろうけど、

 

「生きててよかった」

「生まれてきてよかった」

 

と思えることを一つでも感じられるように

 

私は、母として看護師として

これからも進んでいこうと思います。