萌える不動産王(二年生)意地悪ばあさん
私の担当する扱いにくいお客さんの中に、意地悪ばあさんがいた。
当時、私は契約書を届けに、このばあさんをよく訪問した。
私が訪問すると、このばあさんはいつもニコニコ笑いながら、私にお礼を言う。
「いいばあさんだな~」と思った。
でも数日後、ばあさんは怒り狂って、私の上司に文句の電話をかけてくる。
「契約書がまだ届いてない!」
「お宅の若い社員はどうなってんだ!」 と・・・。 (`。д。´悩) へ?
「届けたじゃねーか!」と思った。 (-∧-;)ばあさん、ボケてるのか?
上司に怒られた後、契約書を作り直して再度訪問した。 (ノ_‐;;)俺が悪いのかよ・・・。
ただ、そんなことが何度も繰り返されると、さすがに上司も呆れてくる。
私の正当性は、時間の経過と共に認められていく。
勿論、文句の度に、何度も何度も訪問した・・・。 (p>д<q●))-з まったくも~
ここまで単純かつ、ひねくれた意地悪はかつて経験ない。 (*´・ω・`ノ)
「この鬼婆め、俺に何の恨みがあるんだ」と思った。
ただ、相手はばあさんな訳で、愚痴を言っても仕方ない。
「そういう人なんだろう」と解釈した・・・。
ただ、このばあさんは、私が訪問する時は決まって、戦時中の話をした。 (@´Θ´@)
戦争の惨さから始まり、
幸せに甘んじる現代の若者へのひがみ、
旦那の暴力の話から、
天皇崇拝へと、
愚痴と講釈は永遠と続く。
辛かったであろうあらゆる昔話を永遠と聞かされた。
そんなばあさんを見て、気の毒な時代に生まれた人だと思った・・・。
私は、本当の殺し合い、すなわち戦争の経験はない。 (=゜ω゜)ノ
勿論、人並に苦労といえるであろう経験はしてきた。
今では会社経営陣として、覚悟も決めているつもり。
ただ、意地悪ばあさんのように戦争を経験した者特有の、真なる恐怖や悲惨さは判るはずがない。
本能のままに生きる純粋な動物間の殺生は、時に美しく見える。
しかし、理性ある人間同士の殺し合いは憎しみしか生まない。
人である限り、いかなる理由があろうと、人が人を殺してはならない。
為政者の利欲に導かれ、混沌とした時代を生き抜いてきた意地悪ばあさん。
彼女の苦しみを通して、当時の幼い私も、苦しみのかけらをいくらか引き継いだ。
今では彼女も他界する。
彼女の葬儀の時の厄払いの塩は、残念ではあるが形見にできなかった。
ただ、今思い起こしてみると、彼女もきっと、私を導いてくれた生き仏だったのだろう。
遅かれど、ブログを通して彼女に合掌したい。
偶然にも時はお彼岸。
次の休みの日に、墓参りついでに意地悪ばあさんに会いに行ってやろう。
。。。つづく