すごくデリケートなお話になるので、書き方に注意しながら書いていこうと思います。
1つ前の記事の最後にこう書きました。
-------------------------------------------------------------
特集番組を見たことで、半﨑美子さんについて
もっと知りたい!
もっと聴きたい!
もっと触れてみたい!
そう思えた。しかし…
それと同時に、私の中で一つだけ胸をつかえるくらいに苦しくなることがあった。
-------------------------------------------------------------
胸がつかえるくらいに苦しくなること…
それは、半﨑美子さんの名曲の1つである明日へ向かう人が作られた背景を知った時でした。
半﨑美子さんは、多くの手紙をもらって、その内容から歌を制作されることが多いとの事でした。
明日へ向かう人は、ある事故で息子さんを亡くされたご両親が書かれたお手紙の「半崎さんの希望の桜のような気持ちになれる日がくることを信じて希望を持って生きたいと思います」と綴られていた内容を受けて書かれた曲なのです。
ご両親の深い悲しみに触れた半﨑美子さんが、「悲しみの中でも希望を持って生きたい」という思いに寄り添いながら作られた曲だったのです。
このお話を聞いたあとに、明日へ向かう人を聞いた時、私は声を出して泣きました。
涙が溢れるだけでなく、声が出るくらい泣いて、息もできなくなるくらいに胸がすごく苦しくて、同時に怖くなってしまったんです。
その理由は2つありました。
1つは特集を通じて、純粋にそのご家族の深く計り知れない悲しみを感じた事。
もう1つはかつて私自身が、このご家族・ご両親と同じような深く計り知れない悲しみを、人に与えてしまっていたかもしれないと言う恐怖でした。
詳細は伏せますが、私もこの事故のことは存じていました。
なぜなら、リアルタイムでニュースで見ていたから…
ニュースを見ながら、小さな命が奪われてしまった怒りと涙に震えていたから…
でも、ニュースを見て怒りと涙に震えていたはずの私が、その約2年後の2013年2月26日に同じような事故を起こしかねない状況になっていたから。
(記事はこちら)
結果的に無事故で帰ってこれたけど、それはあくまでも結果であって1つ間違えたら大事故と紙一重だったと今でも自覚してる。
寧ろ、たまたまその日に先輩が同行されてて、的確に指示を出してくれたから回避できたのであって、自分1人での外回り中の出来事だったら間違いなく大事故を起こしていたと思う。
そうして人の命を奪う結果になっていたかもしれないし、仮に命は助かっても障害を残してしまったり生活を奪う結果となっていたかもしれない。
そんな恐怖…
先輩に助けられたから奇跡的に何事もなく帰ってこれたと思っている。
これは先輩への感謝しかない。
連絡先も変わってしまっているので、連絡とることはできないけど、一生かけて感謝していきたい。
でも、この時のことについて無事故で帰ってくる事はできたけど、それをただ「よかったね」で済ませるのは違うと思いながらずっと生きてきた。
本当に忘れても風化させてもいけない事だと今でも思ってる。
だからこそしっかりと受け止めて通院や治療も乗り越えられたし、その日以来で一度も車の運転はしていない。
これからもする事はない…と言うよりも怖くて出来ないのが本音。
そういう気持ちを半﨑美子さんと出会う前までは持っていました。
そして自分でもそれを人生の反省材料として捉えていました。
しかし…
ご両親の涙や言葉を聞いて、本当の辛さや底が無いくらい深い悲しみをを見た時、自分が思ってる以上に大変な状況を招いてしまった事の重大さに気付きました。
いくら過換気発作が原因とは言っても…
生まれてきて出会えた瞬間。
将来への希望や今の尊いひと時。
それらを一瞬で奪ってしまう事故の怖さを感じた時に、自分の反省なんて甘いな…それを反省と捉えてること自体が軽く考えてるなとそう思えて来たんです。
それだけ取り返しのつかない事態を招く危険性も十分あったのだと…
そう考えた時、当初は反省以上に自分を責めた時期でもありました。
そして、半﨑美子さんを聴く資格が自分にあるのか?本当はそんな資格も無いのではと思えてくるくらいに落ち込みました。
でも、我に返って改めて心の声を聴いた時、せっかく出会えた素敵な歌にもっと触れていたい。
それが本心でした。
その本心にはどうしても嘘がつけなかった…
その本心を優先するのであれば、きちんとそれを受け止め、受け入れて心して聴こう。
そう思いました。
そんな時、2017年のラジオチャリティーミュージックソンの中でライブの中継が放送されると知り、会場であったさいたま新都心のコクーンシティと言うショッピングモールに出向きました。
そのライブ会場で、それまでにTwitterでやり取りさせていただいたハンザキストの方々と初めてお会いさせていただく事になりました。
スゴく優しくて、スゴく純粋に半﨑美子さんの曲やお人柄を愛している方々でした。
そして、ハンザキストであることへの誇りも伝わってきました。
皆さん、メジャーデビューの前からずっと支え続けて来られてる大先輩達です。
その時に思いました。
ウジウジ悩みながら「半﨑美子さんを応援したい」とか「半﨑美子さんの曲に触れていたい」と言うのは半﨑美子さんに失礼だと。
それならば半﨑美子さん、そして明日へ向かう人と言う楽曲と出会えた事で事故の怖さを再確認できて、自分が更に向き合って反省する機会を運んでもらえたのだと思うことにしました。
そう考えたら、お弁当ばこのうた 〜あなたへのお手紙〜 がきっかけではあったけど、半﨑美子さんと言うアーティストと巡り会えたのは偶然ではなく必然だったのかもしれないと思えるようになりました。
ただ、応援していく以上は自分の中でもケジメはつけようと思いました。
そこで私は、年が明けて最初に出向いたショッピングモールのライブ後のサイン会で渡す手紙を書くことにしました。