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(中学生の時に描いた緑化ポスター。農林水産大臣賞をいただきました)












私の原点はここにあります。



11歳で決めたこと。


そこから発展したこと。




私という人間の、
肉体や心は、
弱っちくて繊細で傷つきやすいけど、


この魂が、
とてつもなく高潔であること。


その事を、知っていました。


だから、死にたいとよぎっても死ねないし、
奥底からくる声には逆らえない。


内側から声がした、ハッキリとした。
それも、あの頃でした。


















 


私は、小さい頃から、ある想いを持っていました。


ごく、普通のことです。 



愛したい。愛されたい。
喜ばせたい。喜び合いたい。


このことを心に持って生きていました。



それから、多分他の人よりも、
「氣」…「エネルギー」…というものに敏感で、
感受性が高い子供でした。


 





あるとき、
家族4人の食卓に会話が全くなくて、
シーンと静まり返っていることがありました。
両親が喧嘩でもしたのかと思います。
食べるものの味がしなくて、
胸が詰まるような苦しい感じがしました。




ピリピリとした空気を感じた私は、
「家族みんなを笑わせなくては!」と思い、
友達との面白いエピソードを、一生懸命話しました。



内容はくだらない『おなら』の話でした。
子供ってそういう下ネタが好きですよね(^_^;)




父親は、マナーや礼儀に厳しい面があり、
私の話を一蹴しました。
「食事中にそういう話をするもんじゃない」と。


そりゃ、そうなんですけどね。





私は、「だって…」と、何か反論しようとしましたが、出来ず、泣きました。











また、小学生のあるとき。
絵や作文で、よく賞を貰う子供だった私。
先生から、こう言われました。
「お父さんやお母さんに、賞貰ったって話してごらん。きっと喜ぶから」…



(賞を貰ったら、喜んでもらえるんだ!)
私はワクワクして家に帰って、
両親に報告しました。



返ってきた言葉は、こうでした。




「こんな人の少ない田舎でとった賞なんて、価値がない。」

「たいしたことない。」…




私は、この後のことは、覚えていませんが、
たぶん泣いたと思います。











幼く言葉のボギャブラリーが無かったために、
自分の真意が伝わらず、
その上、誤解されたまま叱られたりする、
それが悲しくて泣く。



泣くと、

「泣けば構って貰えると思ってるんだろう!」

「泣けば優しくされると思ったら大間違いだ!」

「こいつは媚びてる」


等言われ、
余計に泣き続け、
癇癪だと思われていたようです。






そういうことが、何度も何度もありました。




私の想いは、
「愛したい。愛されたい。喜ばせたい。喜び合いたい。」だったのに、
毎回、それを無視され、誤解され、否定されるのでした。
それに対して、悲しくて、抗議する形で、泣いていたのでした。



「こいつは頭がおかしいんじゃないか」

「気持ち悪い」  


とまで、言われたりも、しました。


私は、何度も何度も、大切な想いを、
大切な親に、否定されました。













(もちろん、親に愛情があったこと、
当時からちゃんと感じていたし感謝もしています。)
















何度も喜ばそうと行動し、
何度も期待を裏切られ、
何度も否定され、
何度も混乱し、余計に媚びてしまう




私は、私のことを
《私はなんて人に媚びる汚い人間なんだ…》と、
思い、泣きました。
そうやって自分を疑い、責め始めたのは、
まだ小学生にあがる前だったと思います。










小学生低学年?中学年?の頃から、

朝起きて声が出なかったり…

心臓の辺りが、キューッと痛んで30秒〜1分くらい、息も出来ないくらい苦しくなったり… 

そういう現象が起きはじめました。



(その当時の感覚では、「肺の中にシャボン玉が膨らんで胸が圧迫されて苦しい。そしてシャボン玉が割れる瞬間が一番痛くて苦しい。」でした)




今なら、
自己否定し過ぎた、感情を抑圧し過ぎた為に身体に表れた、とわかりますが、


当時はこれも、うまく説明ができなくて…
嘘だと思われていました。

それも、すごく辛かったです。








喜ばそう、喜び合いたい、という行動を、
自分で媚びだと否定して、
わざとしないようにしたこともあります。
無気力な、心が死んだような感覚でした。












でも、あるとき、
それでも湧いてきたんです。




















喜ばせたい‼︎って。








これだけ、こてんぱんに否定されても、
胸の奥から湧き出てくる想いは、






ほんものだ‼︎











そう確信しました。


それが10歳くらいのときです。


 












私は私の理念を、
嘘だと思われることが一番悔しい。
これだけはほんとうなんだ。
魂が願うことなんだ。
すべてが濾過されて、
優しく純粋になったとき、
愛と思い遣りと慈しみと癒しと。
そういう想いに満ちている。
誰にも汚せない。
誰にも邪魔させない。
その砦を守り続けてきた。
それが私のプライドなんだと思う。












長くなったので続くかも








ひらたま