風に当たるのって気持ちよね、暴風は嫌だけど
いつだったかな?小学3年生ごろだったかな?
父が放った「世界の中心はお前じゃない」
この言葉を鮮明に覚えてる
言われた瞬間、身体を走る稲妻⚡️
脳天から引き裂かれるような、衝撃。
脳内お花畑ちゃんだった
自分大好き♡な私にとって
かなーりショックな一言だった😂
人生は私のもの〜♪
私がお姫様よ〜👸
ぐらいの子どもだったからそれはそれは、「違ったのか!?」と衝撃を受けた。
それ以降、脳内はどんどん自責めの言葉で溢れていく。
お前は脇役だ
お前は脇役だ
パパとママの人生の脇役だ
邪魔するな!
その役割を全うしろ!
って何度も脳裏から聞こえてきた。
いつしか気づくと、自分の人生を傍観する様に生きてきた。
ここにいるのに、見えるのはいつも肉体の目の中じゃない。
誰かの物語の片隅にいる私。
空間の上から見下ろすように常に自分を見るように空間やその瞬間を捉えるようになっていた。
まるで第三者みたい
映画の脇役みたいに
そうゆう人いるかな?
それはどんどん目に前のことを味わえなくした。
気がつけば何年もそうやって生きて、それがあたかも普通で当たり前のように生きてきた。
結婚しても子どもを産んでもそう。
人生主役!!!のような周りのヒロイン達を見ては羨ましく思った。「ちっ」って「けっ」って思った。
なんでだよ、と何度も悔しく思った。
そして大切で愛おしい相手が増えるほど、嬉しさと同時に強烈な不安も出るようになった。
なぜなら、また主人公たちが周りに増え、脇役の役が増えたから。
「どうか、私のせいで彼らが不快に思いませんように。私が邪魔しませんように。彼らが幸せでありますように」
そう祈り、怯えた
怖かった。傷つけてしまい、邪魔してしまうことが怖かった。
そんな日々を送っていたのだけどね、この前気がつきました。いや、やっと腑に落とせたというのがぴったりかな。
うん、私の人生だよな
私の物語だよな
だから私真ん中にいていいんだよな
景色を傍観せず
この肉体にある二つの目👀から
夢中になるように目の前のことに
熱中してもいいんだよな
やっとそう腑に落ちたんです。
もう嫌だなって
こんな馬鹿げた子供の頃の記憶に囚われ続けるの。
執着しているに私だな、って。
もうやめたいな、
わざわざ脇役でい続けてきたんだな
それ好きだったんだな。
そうやって魂喜ばしてきたんだな
苦しい
ごめんなさい
邪魔しません
って喜ばしてきたんだなって
バッカらしくなった。
やめようと思った。
これが巷でよく言う“自分軸”なんだろうな。
私はこの肉体の目👀から世界を夢中で見るが
ぴったりくる表現なんだけど☺️
あの日から、この肉体にある二つの目👀を通して見える世界はとってもリアルでダイレクトに私に目の前のことを味させてくれている。
みんなあなたという物語のヒロインなんだよ♡