皆様からしたら、芸能界とか女優とかって、どんな印象ですか?
キラキラ?どろどろ?華やか?
今までの投稿を読んでくださっている方は、
私が過去に母の為に、母を喜ばす為だけに、母の希望の為だけに、鬱、摂食障害になりながら芸能界で頑張っていた事は既に知ってくださっている方もおられることと思います。ありがとうございます😭(因みにこの母の為にの考え方、心理学で言うところの母子一体感、依存であります💦)
私の大好きだった母が亡くなったのは、私がちょうど、20歳から21歳になる間のこと。
昼ドラの主演が決まり、リハや撮影がスタートし、放送も始まり、全60話なので、放送しながらも撮影も毎日追っかけでしている、そんな状況のころでした。
母は、私が17歳位の時から癌で入退院を繰り返し、この頃は、既に撮影3ヶ月前のリハーサル開始の時には入院していたので、私は毎日、リハーサルが終わってから、撮影の日は泊まりも多かったですが、なるべく終わってから、病院にお見舞いに行き、母と話をする事が唯一の楽しみでした。
その当時、私は主演とは言え、マネージャーさんも放ったらかしで送り迎えも勿論なく、お給料も手取りで17万しかもらっていなかったので、毎日タクシー🚕利用や運転手さんを雇うことなんかもできずに
ほぼ毎日のように、朝8時から26時までの撮影だったりで、疲れた身体を引きずって電車移動し、それだけでもしんどくて、、、
だからこそ、今考えると子供なのですが、、、
私が母のお見舞いに行った時に、知らない方がお見舞いに来てくださったりしていると、それだけで母との2人の時間を邪魔された‼️と不機嫌になり、更には、『昼ドラ出てるわね?』などと、芸能の話をされた日にゃ、精神病んでいるので、泣きながら怒ってその場から帰ってしまった事が何度もありました💦あの当時の方々、本当にごめんなさい🙏
そのくらい、私にとって、芸能界にいて母が喜ぶのは嬉しいのですが、色々しんどかったのです。
そんな中、ある日の撮影中、普段いないマネージャーさんがスタジオに入ってきました。
すると、今日はこのまま、ホテルに泊まらず家まで送ります!と言われました。
何も知らない私は『ラッキー✌️』なんて言いながら、ワンボックスに乗りました。
そこで、母の急変、危篤を知らされたのです。。
そこから、私はどんな会話をしたのか、マネージャーさんとどこで別れたのか、、、それすら未だに覚えていないまま、次の記憶は母の病室でした。
しかし、私はこの前会った時の母とは姿が全く変わってしまい、話す事も出来ないうえに、更には病室に漂う嗅いだことのない匂いに怖くなり、母を触る事どころか見ることすら出来なかったのです。。
そして、一度家に帰ってほど無くして亡くなったと連絡がありました。。。
昼ドラは毎日撮影やリハがあり、2週間置き位で撮休があり、たまたまラッキーなことに、母の葬儀はその撮休と被ったのです。
母が亡くなった次の日は、リハの日でした。。
新人とは言え主演、ベテラン女優さんからは「あなたレベルの芝居には私の40%の芝居で充分。」なんて言われていた私は、気を遣わせてはいけないと、笑顔でリハに行き、休憩時間にトイレで泣き、また笑顔でリハに戻る。撮影も同じ。。。
事務所からも母が亡くなったことは秘密で仕事を続けるように!とだけ言われて。
日々が目一杯過ぎて、今考えても、途中から撮影の記憶や最後どうしていたかなど、、、、
本当に全く覚えていないのです😭
いざ母の葬儀の時。
その当時、父と私は本当に仲が悪く、父と犬猿だった母からも分骨して欲しいだの遺書を残されてしまったため、揉めに揉めまくっていました。
そんな中、悲しくて悲しくて涙が止まらない私に、父方の親戚が一言。
「さすが女優さんね!泣くお芝居がお上手」と。
女優って、役者って、何なんだろう。
人ってなんなんだろう。
ここから、私の精神は完全に崩壊してしまいました。。。
そして、この後、その崩壊に更なる爆弾💣が投下されて行くのです。。。。
つづく。(因みに、全て実話です💦)
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こんな私がこんなに幸せに生きているって、、
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