古事記を一部読んでみた

 

第十二代 景行天皇

 

 

景行天皇の御子80人

 

そのひとりがヤマトタケル

 

やまとたけるのきょうだいが79人ってこと!?

 

天皇には多くの妻

 

やまとたけるの幼少時の名前は

小碓尊

父(景行天皇).から双子の兄を教えさとすように言われ

 

兄の手足を引きちぎって袋に入れて投げ捨てたゲッソリ

 

 

故に父から(恐れられて)

大和から追放する口実で

西征を命ぜられる

 

無事大和の地に帰還

 

強くなればなるほど

恐れられ

 

次は東征を命ぜられる

 

東征は果たせたが

まほろばの国大和へは

生きては帰れなかった

 

魂は大きな白い千鳥の姿に

天を翔けるように浜に向かって

飛んでいった

 

妻6人

子6人

の名が記載されている

 

 

古事記には書かれていないが

ここに加古川に来る前に住んでいた羽曳野市に

 
軽里大塚古墳(日本武尊白鳥陵)があった
古市古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが
宮内庁により「白鳥陵」として
第12代景行天皇皇子の日本武尊の陵に治定
 
調べると他にも二つお墓がありました
 
三重県亀山市 日本武尊御墓(能褒野大塚古墳)
 
奈良県御所市 白鳥陵
 
そして余談ですが
誉田御廟山古墳応神天皇陵古墳(倭健命の孫?)←羽曳野市
 
わたしは10歳の頃から
仁徳天皇陵のある堺市に住んでいた
(倭健命のひ孫?)
 
今住んでいる加古川には

倭健命の母(稲日大郎姫)のお墓

日岡御陵(宮内庁管轄)前方後円墳がある

他にも古墳群がある

 

洋美