私達家族の中で


息子が特別な存在だったと


口に出さなくても


分かる。


息子が私達の灯火だったんだって


いなくなって


実感したから。


だからなのか。


私達は、


息子を思い出して


悲しみを、もはや共有しない。


敢えてしないっていう


優しさもあるよね。



息子が夜帰ってこなくて


怖くて怖くて


娘と泣きながら待っていた記憶が


蘇って


昨日は本当に震えた…


私は、息子がいなくなった

その日に限って夜出掛けていた

自分を責め、


娘は、ママのせいじゃないからって


何度も言ってくれた。


何で?

何で?

何で?


何で消えないといけなかったの?


その答えは未だにあるようでない。


当の本人がいないのだから


真実は闇の中…


私は、


その日から


たまに消えてなくなりたい


と思う日がある。


どこかに行きたいとか

逃げたいじゃなくて


消えてなくなりたくなる。


でも生きているのは、


私がいることで笑顔になってくれる

家族や周りの人がいるから。


私は孤独だけど


誰かが喜んでいると


生きてて良かった


と思えるから。


米津玄師さんの


アイネクライネ


の歌の中に


『私、あなたに会えて本当に嬉しいけど、


当たり前のようにそれら全てが悲しいんだ。


今痛いくらい幸せな思い出が


いつか来るお別れを育てて歩く。』


このことを私は知っていないといけなかったんだ。 


これは生きることの真実を捉えている。


喜びを作ることは


悲しみを作ること。



『生まれたその瞬間に、


消えてしまいたい、って


泣き喚いたんだ』


結局

生きることは、


悲しみや苦しみを生み出すことだから、


息子はそれに気付いて


本当に消えてしまったのかな。