恵まれている (気づき) の続きです。

子どもの頃やりたかったこと

ふっと言葉で出てきた。

でも、言わなかった。

それは、話しても「無駄」だと思っていた

と、私が思っていた。


そのことに気がついたの。


本当に思っていたことは

違っていたんだ。


ライフヒーリングを読んでいて自分を5,6歳の小さい子どもにして

その子をどんどん誉め、間違ってもいいから何でも経験していいんだよと

伝えるというくだりがあるのですが

その部分で私は先に書いた

自分のやりたかったことが出てきたんです。

でも、言わなかった。

そこまで、自覚をその時はしました。

そして次、

今度は母を小さくして、4,5歳くらいにして

泣いてるその子に話しかけるんです。

同じようにね。

(その時に私は本の内容から少しずつ離れていったみたい。)


読んでいて私は、母の小さいころは、やりたいことなんて

考えることもできなかったんだろうな・・・そう思っていました。




母の住んでいたところは、空軍の基地が近くにあったため

空襲がしょっちゅうあったんだそうです。

防空壕に逃げるようすや

おばあちゃん(母のお母さんね)の背中におんぶされ

逃げていた時に見た光景を話してくれました。


私は、よくその話をしてくれと

頼んでいたように記憶しています。

そしていつも号泣してました。




だから、小さくした母に、やりたいことあっただろうね~って話しながら

少しばかりうるうるしてきてました。


そして読み進めると

今度は父を小さくして

その子供にも話かけるんです。

同じように。

やりたいことやっていいんだよって。


でも、そこで父もいろいガマンしてきていたんだよね。

そんな思いが頭をよぎり

新幹線の中で泣いていました。



父は鹿児島の漁村の出身です。

小さな島に住んでいました。

学校は中学校まで。

その先に進学する子はほとんどいなかったようです。

学校での成績は父はいつも一番で、

先生たちも進学させたいと思っていて

家まで何度も説得しに来ていたそうですが

そして、父がそれを望んでいたのかは

話してくれませんでしたが

進学はしないで就職をしました。


そんなことを思い出し

新幹線で号泣。



私は父や母に比べたら

なんて、恵まれているじゃないって。





そして、大阪の実家へ帰り

私は、一人で大阪に帰った意味をこのブログでは

実家の断捨離と

私の心の断捨離

と書きました。

そのときのキーワードは

「甘える」

だったんです。


親に甘えたかったんだな~って気がついたんですね。

長女で、育てやすい子で、何でもしてくれて

親にとっては

ありがたい子だったんですよ。私って。

私はそれを「苦」としてなかった。

どちらかというと「喜び」だったと思ってた。

そんなわたしに気が付けたんだけどね

その中に今回の

「恵まれてる」も隠れてたんですよ。


それがアロマッピングで浮上してきたんですよ。


やっぱり驚きです~~。


長くなるので続きます~。