以前書いた「乗る」という記事は、テーマとしては「私の稽古課題」としての記事で、まだ、稽古中の思考錯誤の段階の記事でしたが、結局「これは違う」という結論になりました。
一時は、何かをつかみかけたと思っていたのですが、間違った方向に行ってしまっていました。
「乗る」を意識しますと、無意識の技が出現しなくなってしまったのです。
「攻めは攻めようとしないこと」という大きな気づきを得ていたのに、「乗る」は別の感覚でいけると感じたので乗る稽古を続けましたが、結局「攻めよう」とすることと「乗ろう」とすることは同じだったということです。
「攻めよう」「乗ろう」「割ろう」「中心を取ろう」「溜めよう」などは全部同じで、意識を強めてしまう。
なので「上の心弱く、底の心強く」も「見の目弱く、観の目強く」も出来なくなってしまうのです。
「結果としてそうなる」ことを意図的に「やろう」としては道を外れるということですね。
いえ、ある段階までは「攻めよう」「乗ろう」「割ろう」「中心を取ろう」「溜めよう」と稽古していけばいいのですが、私が目指す理想の剣には、それでは絶対にたどり着けないということです。
まだまだまだまだ上がっていける道が広がっていることを嬉しく思います。
精進精進
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