「打ちに強度が足りない」とか「打ちが軽い」と言われると、ついつい一生懸命頑張って腕を振ったり、手首を効かそうとしたりしてしまうのではないでしょうか。
さらには「私は筋力が足りないからだ」と筋トレに励むということをすることになったりもしますね。
しかし、筋力に頼れば頼るほど竹刀の重さも腕の重さも消えちゃうのです。
なぜなら、筋力は重さを支えちゃうからです。
たとえば、何も持たずにバンザイをして静止しますと、それは筋力で腕の重さを止めているのです。言い方を変えれば、腕の重さを位置エネルギーにして運動エネルギーはゼロにしている。
その状態から、腕を止めている力を一気に抜くと、かなりの勢いで腕が落下します。
肘が体幹の近くを通って腕が垂直に落下してくることになります(落下途中は肘が先行し、最後に前腕が落ちる)。
これは、腕の重さが位置エネルギーから運動エネルギーに変わったということです。
動力は重力。止めていた腕の「筋力の電源を切る」感じにすると重さを活用できるのです。
でも、バンザイして静止した状態から意識的に「腕を下に振ろう」とすると、肘は先行せずに、肘が伸びたまま腕を振ることになりますが、これは腕の重さを支えながら下方向に筋力で腕を運んでいることになります。この時の動力は筋力です。
止めていた腕の筋力に「さらに電力を加える」感じになります。
でも、これでは重さの活用が出来ません。
筋力でやろうとすると折角の重力を使ってないんですから、かなりの筋力がないと打ちは軽くなってしまうわけです。
でも、重力を使えば、十分すぎるほどの打突の強度が出るのです。
カーボンシナイでも気を付けないと短期間で割れてしまうほどの打突の強度は、筋力に頼らずに出でるのです。
筋肉は力を入れれば「縮む」ので、たとえば腕を伸ばすという運動で筋力に頼れば、一方の筋(上腕の下の筋)は縮み、一方の筋(上腕の上の筋)は伸ばされるわけで、力めば、筋力同士でケンカしながら動くことになってしまう。
つまり、力むことは非常に非効率なのです。
どんな動きをしても自然に筋力は使われますが、一部の筋肉を使ったらすぐに弛緩させないと次の筋肉の動きを邪魔して全身が連動する効率の良い運動にならないのです。
意図的に筋力を使おうとすると弛緩が上手くいかないというわけです(ある運動の最初から最後まで同じ筋肉だけが使われるというのはヘタクソだと感じます)。
筋力を意識すると、重力は活用できず失われるし、さらなる「電力」で起こりが分かってしまうし、自分の中のエネルギーだけに頼るので疲れるし、、、、。
大切なのは、どう骨格と重力を利用するか。
稽古でも日常生活でも意識するのは筋肉でなく、骨格を機能させるイメージが大切に思います。
追記:
筋肉で支えて重さを消してはいけないが、感覚としての重さは消えていいのです。
重力に逆らえば感覚としては竹刀は重く感じ、重力に逆らわなければ感覚としては竹刀の重さは消えます。誤解のありませんよう追記しました。また別記事として書いてみます。
関連記事