よく「腹を張れ」という指導を聞きますね。

 

そう言われますと、おなかをポッコリふくらませようとすることになりませんでしょうか。

 

おなかをポッコリふくらませるとどんな効果があるでしょう。

 

う~ん、どう考えても利点が思いつきません。

 

五輪書の水の巻の「兵法の身なりの事」には次の記載があります。

 

身のかかり、顔はうつむかず、仰のかず、かたむかず、ひずまず、目をみださず、額にしわをよせず、眉あいに皺をよせて目の玉動かざるやうにして、瞬きをせぬやうにおもひて、目を少しすくめるやうにして、うらやかに見るるかを、鼻すじ直にして、少しおとがいを出す心なり。首は後ろの筋を直に、うなじに力を入て、肩より惣身はひとしく覚え、両の肩をさげ、脊筋をろくに、尻をいださず、膝より足の先まで力を入て、腰の屈まざる様に腹をはり、楔をしむると云て、脇差の鞘に腹をもたせ、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云ふ教へあり。総て兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とすること肝要なり。よくゝゝ吟味すべし。

 

ここにも「腹をはり」が出てきますね。でも、ここに書かれた姿勢を取ろうとすると「おなかポッコリ」にはなりようがありませんね。

 

結果的に、むしろ腹の深層筋が引き締まる感じになります(力んでそうなるのではない。結果としてそうなる)。

 

私の解釈は、今のところ「腹を張る」とは、太鼓の革のように上下左右に広く張るということです。

腹はフラットなんです。

 

腹の中は空気が詰まったような感覚になりますが、息を吸ってもはいても腹の表面は変化なくポッコリおなかが膨らむ感じにはなりません。

 

また、「太鼓の革のように上下左右に広く張る」といいましても、力を込めるんではなく、力を抜いて理のある姿勢になる感じです(結果としてそうなる)。

 

つまり身体の中の空間を広げるように、骨と骨、関節と関節、臓器と臓器との空間を広くしておく感じです。

 

筋肉に力が入ると筋肉は縮みますから、骨と骨の間は狭くなり、身体の中の空間は狭くなります。

 

体内を広くしておくようにすると、表面の皮膚も広がりますね。

これを結果としての感覚が「腹を張り」になるのだと感じています。

 

五輪書に書かれていることはいつも「結果としてそうなる」のです。たとえ「力を入れて」と書いてあっても自ら力を込めるのではなく、結果としてそこに力が入ったような感覚があるという意味としてとらえるべきだと感じています。

 

関連記事

「腰を入れろ」の「腰」は、腰骨ではない

脇は締めるのではない

兵法の身なり(正中線の機能)