兵庫県北部(豊岡市、養父市、朝来市、美方郡)は但馬(たじま)地方と言われています。
かつて地方行政区分だった令制国では、但馬国(たじまのくに)と呼ばれ、山陰道に属していました。
但馬国一宮は粟鹿(あわが)神社と出石(いずし)神社の2社です。
注:いくつかの資料で一宮の神社が異なっています。
今回は粟鹿神社をご紹介します。
ご由緒
粟鹿神社の創建は2000年以上も前といわれています。、但馬五社のひとつでもある古社。
「粟鹿」の名は、昔、鹿が粟を三束くわえて粟鹿山から村に現われ、人々に農耕を教えた、との言い伝えに由来します。
粟鹿神社にはその鹿が祀られていると伝えられています。
ご祭神や祭主などを記した『粟鹿大明神元記』写本:和銅元年(708年)があり、現在は宮内庁に所蔵されています。
ご祭神
※ご本殿
境内は大杉や檜などの社叢林に囲まれ、摂社や末社が点在しています。
勅使門(ちょくしもん)
勅使門は勅使(朝廷からの使者)が神社に参向する際、出入りする門です。
国家の大難に際し、4回の勅使参向が記録に残っています。
現在の勅使門は約600年前に建てられ、応仁の乱の兵火も免れました。
伊能忠孝の測量
江戸時代に日本各地を測量した伊能忠敬(いのうただたか)も、但馬地方に測量に来たときに、粟鹿神社に参拝した記録が残っています。
平成13年に江戸時代の測量などを再現したそうです。
そのときの様子や参道から発掘された街道の遺跡などが、社務所の壁にパネル展示されていました。
※測量再見の様子(パネル)