仏法が滅しようとする時、
女人は精進して常に徳を積むが、男子は怠けて信心がない。
仏法が滅ぶ時、天の神々はみな涙をこぼし、泣き悲しむ。
作物という作物は実をつけなくなり、
疫病が流行し、死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。
税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。
悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。
確かに、言われてみると現在の世相は
お釈迦様の残したお言葉に添っているように感じられます。
かつては、お店に行っても、近所の方とちょっと話すにも、
もっと温かみがあり、
「人を人とは思わない」ような無礼なことをする人は、
少なかったように感じます。
ネットニュースや、
テレビから聞こえてくる事件・事故も、
この頃は悍ましく、
(人がそんな恐ろしいことをするのか)
とゾッとするようなこと、
考えてしまうような事件・事故が多い気がします。
かつては「嫌なことが起こっても、信じられる何か」や、
「もっともっと良いことが世の中にはあるのだから」
と無条件で信じることが出来てきました。
その大切な「何か」が人の中から失われつつあるのが、
現代かもしれません。
スマホもネットも余り普及せず、
今より不便で嫌なことも多かったかもしれません。
むしろ今の方が、一見自由で、
個人が言いたいことを言えているように見えますが、
童話:「モモ」のように、
灰色の男たちから大事なものを、
代わりに奪われている気がしてなりません。
「先のことを考えてクヨクヨしたって仕方ない。
起こる時は起こるんだから、その時何とかするしかない。」
本当に、これが答えだと思うのです。
空を飛ぶ鳥は、種を撒いたり畑を耕したりしません。
それでも、生きるのに必要な翼を与えられています。
今日刈られて、明日燃やされてしまう雑草ですら、
ソロモンの栄華にも劣らない、野の花の装いが
与えられています。(聖書)
それなのに、私達人に何も与えられないことが
あるでしょうか。
こう考えると、何とか、どうにかなるのでは…
としか思いません。
少し前、
私は、よりステップアップするために、
新しいパソコンを手に入れました。
これから、操作にも慣れていかないといけません。
目の前の、そういう小さなことこそが
私達を突き動かして、生かしてくれています。
細部に神は宿るといいますね。
大きな天の神様を仰ぐことも、時には重要です。
ですが、
日常の中にある小さな”神様”を愛でて、
今を懸命に生きることが、
私達の大事な天命ではないでしょうか。