小石川と聞いてみなさんは何を思い浮かべるでしょうか?不勉強な私は40年以上前の大学受験で覚えた小石川養生所しか出てきませんでした。しかし多くの方にとって小石川とは都会の上品な街並みでしょう。その通りです。文京区小石川は、徳川将軍家の菩提寺である伝通院、都立竹早高校、現住所名は異なりますが小石川植物園(旧小石川養生所)などがある地名のなのです。それもそのはず1878年から1947年まで小石川区という区が存在していたのです。小石川が地名として捉えらるのは当然です。またこの時の小石川区には現在の春日や大塚、白山なども含まれていました。お茶の水女子大学や東京文理科大学(現筑波大学)、東洋大学などもある文化的な街だったのです。
ちなみに現在の文京区は小石川区と本郷区が合併し誕生したものです。

では小石川と言う川はなかったのかというと、それはありました。川が先で地名は後のようです。小石が多かったから小石川という名がついたそうです。現在は暗渠(地下水路)となっていて、どこに小石川がながれていたのかすぐにはわかりません。ということで歩いて見ました。

小石川が暗渠化されたのは1934(昭和9)年、現文京区内では千川、現豊島区内は谷端川と呼ばれていたそうです。手書きで見にくいかも知れませんが流れは大体下図の通りです。

 

では富坂下交差点から出発です。

千川通りを道なりに進みます。

途中、東福寺、巣鴨小学校辺りは千川通りを外れて一段低くなっている大塚三業通りを流れていたようです。

大塚駅近くで山手線のガードをくぐります。

 

JR板橋駅東口に着きました。

JR板橋駅西口からは小石川の流れは今もあります。暗渠となっていますが、谷端川北緑道・谷端川南緑道が整備されています。

 

粟島神社に到着しました。

神社境内の弁天池が小石川の水源だそうです。

 

以上小石川の流れをたどってみました。最初の地図で川は蛇行しているように見えましたが、土地が低くなっているところを進めば、それが自然な小石川の流れだったようです。下の標高を示した地図を見ても納得できます。

 

江戸時代の小石川の流れを見たくなりました。