先週、芸能人ユージさんが 大谷のサインボールが多く入ったお土産を、
空港で並んでいるときに盗まれたことを情報番組で見た。
今週は、トランプが狙撃された。

似たようなアメリカでのアブナイことを思い出す。

1.初めての入国審査

 1973年春 初めての海外出張時に、当時はアメリカ本土への直行便がないので
ハワイの空港で、入国審査とき、税関のチェックを受けるため、
預けたケースが出てくるのを待っているが、自分のだけ見つからない。
 
 誰かが取り違えか?と思い、空港内を走って探す・・
見つけた!! 確かに自分の水色のサムソナイトだ。
アメリカ人にしては小柄なおっさんが、引いて歩いている。
 すぐに、前をふさいで、指をさして、
 イッツ マイン と大声で叫ぶ

 するとおっさんは、
色が同じなので自分のかと思ったと・・
 ちゃんと名札も付いているので、
指摘したら、すぐに、返してくれた。

これが人生最初に発した実用英語だった。
(自分の身は自分で守るしかない)

2.ボトラーズ

 90年代半ば、ニューヨーク タイムズスクエアの交差点近くの歩道で 夕食後、夜9時ごろ
向うから歩いてくる青年に触れると、持っていた袋を落として、瓶が割れる音がする。
お兄さんは、これはボスに頼まれた高級なウイスキーだから怒られる。
お金を払ってくれと 懇願される。
 
 ところが、ウイスキーの匂いはしないので、こりゃあ例の脅しか?
瞬間、英語が分から無い振りをして、無視して歩く。
相手は追いかけてきて、なお、金を払えとだんだんきつい言い方になる。
数分歩くと、ホテルの前に来たので、
そこで、英語で初めてNOと答える。

 相手は、ホテルの前では、何もできないので、
捨て台詞、ボスに言って、ひどい目に合わせてやる

 翌日は帰国の日だったので、とくに怖くもなくバイバイ

 当時は、歩道でぶつかって、服にケチャップを付け、
拭くふりをして、財布をスルことや
似た手口で、ビンを割るのがボトラーズ
と知っていたので、落ち着いて対応できました。

3.ホテル

 90年代はじめ頃、これは知人の体験
 ボストンのホテルで、夕食後、街並みの散歩に出かけた。
夜の外は、危ないというのは、皆知っていたので、
貴重品はすべて、ホテルの部屋に置いて出た。
もちろん、部屋の鍵は掛けている。
 1時間ほどで、帰ってくると、
財布、カード、パスポートなどがない。
当然ホテルの部屋に入れる人しか犯人はいないはずだが、
ホテルに言っても、通じなかったようだ。
(多分自己責任ということか)
合鍵をもっている泥棒がいるのかもしれないが・・
 翌日領事館でパスポートの再発行やカードの処理などで仕事にならず
 
 ホテルでも安全ではないので、自分で守るのが基本

4.火炎瓶

 これは1973年春のボストン
当時はアメリカ東海岸は、反日的風潮が強かった。
7-8人の日本人が集まって、モーテルで数週間暮らしていた。
あるとき、車で出かけると、すぐ近くのアパートの屋上から車をめがけて、火炎瓶が投げられた。
ハズレタので、ことなきを得たが、明らかに我々を狙ったことはわかる。
(学生時代から火炎瓶の炎は見たことがあるのですぐにわかったが・・)

 ボストンからニューヨークへの飛行機に乗ると、
ジャップ という声が露骨に聞こえる。

 今はオオタニがいて、日本人に好意を持つ人が多くなったが、
西海岸は大丈夫だと思うが、東海岸は警戒しておいた方がよいかも。

 ニューヨークの空港のビル間をタクシーに乗ったら100ドルだったという話も聞いた。
国内線と国際線は別のビルだが、歩いても近いので、ボラレないように

5.交通事故
 
 アメリカは右側通行だが、街では問題ない。
しかし、車の通りが少ない郊外では、右折するとき、
ついつい、左車線に入ってしまうことがあった。
すぐに気が付いて、右側に移ったが。
 
知人の中には、ハイウェイから出たときに、左側を走って、正面衝突して亡くなった人もいる。
この人は、1年以上滞在していた人だったが、ついついこういうこともある。
(赤信号でも右折はできるので、止まっていると後からぶつけられるかも)

  交通事故にあったら、まずは警察へ通報するのは、日本と同じ
ハイウェイから出るときクローバーを通って出たところで、接触事故。
最初にハイウェイ・パトロールが来たが、クローバーから出ていたので、
確認して、地元警察の管轄だと言って、そのまま帰ってしまった。
 次に地元警察に連絡して、普通のパトカーが来た。
比べて見ると、はやり、ハイウェイ・パトロールの方がカッコ良かった。
 私が運転していたわけではないが、乗っていたので、
近くに現地の仕事先があり、そこの人に連絡してもらった。
こういうときには、現地人にお願いするのが一番ですね。

 レンタカーで保険があるので、キズは何も言われなかったそうだが、
帰国後、自宅に国際電話があって、確認があったそうだ。

6.カジノ

 ラスベガスでは、大きなイベント会場があり、
IT関係のイベントも多いので、たまに出張もあった。
ほとんどの立派なホテルにはカジノがあり、遊びに行くこともある。

 ルーレットが有名だが、確率的にはブラックジャックの方が、間違えなければ勝てるらしい。
カードの合計が21以下で近い方が勝ちというゲームで、必勝法の本を読んで、挑戦していた。
 
  ディラーは時計回りにカードを配り、その順でカードを引くかどうかを決める。
一番最後の席は、親が引くカードに直接関係して、全員の運命を握っている。
1テーブルに5-6人のプレイヤーがいるが、初心者は絶対にいてはいけない席だ。

 あるときは、最初の席にいるおばちゃんの調子が良くて、
私は一番最後だったが、お互いのコンビネーションで勝ち続けた。
親を何回もバースト(カードを引かせて21を超え)させたので、 
30分ほどで、おばちゃんはニコニコして、チップを抱えて、お礼を言って帰っていった。

 30分ほどでディラーは交代するが、金髪の女性相手に2回目を楽しみながらまた勝っていった。
2時間近くになると、残ったのはテーブルで私一人になった。
 すると、次は男のディラーに交代した。
それからは、こちらが19なら相手は20、こちらが20なら相手は21と
続けざまに負ける。あっというまに、山のようなチップが少なくなる。
4連敗ほどすると、これは怪しいと思って、じっくり見ているがわからない。
それでも、オシイ負けが連続したので、元手の倍に減ったところで、止めた。

 どう考えても、イカサマだろう。
勝っているときに、ディーラーが女性から手つきの早い男性に変わったら要注意
とくに二人になれば、カードの順がほぼ確定するので、イカサマがしやすいので、
もっと早く止めるべきだったが、これも勉強。 

7.競馬場

 最後にアメリカで競馬場に行ったのは2000年頃なので、古い情報だが・・
・日本のような競馬新聞はなく、レーシングプログラムだけなので
 数回の成績と父母名と予想オッズしか判断材料はない。
(多分今ならリアルタイムオッズも見られると思うが)
 私はミスプロ系の父と馬主、調教師、騎手の表情を見て、
単複だけを買い、かなり勝つことができたが、最終レースで返してきた。
・開場後 国旗掲揚と国歌が流れると、皆直立して手を胸に当てる。
 周りに合わせて、直立して動かない方が身のため
・当時は払戻機がなかったので、売り場のおばさんに馬券を渡してキャッシュをもらう。
丸見えなので、大口配当は要注意だろう。  
・私は関係無かったが、カジノでも競馬でも百万円以上の現金になった場合には
日本の税関に申告する必要がある。税金はかからないようだが、
申告せずに持ち込むと違反で捕まるそうだ。

8.マイアミの海
 
 1回だけフロリダに出張したときに、マイアミの海を見に行った。
海岸通りは混んでいて、駐車するところがなくて、ハズレの方に止めた。
降りると砂浜には、大きなレインボーフラッグが立っている。
こちらは運転していた同僚と男二人、
砂浜には男のカップルと見られるムキムキマンが多数
これは間違えられて、危ういと思い、にぎやかな方へ速足
 帰りも目を向けずに、速足
 とくに実害はなかったが、感じたことのない危険だった。
 1994年夏か秋だったと思うが、
LGBTなる言葉はなかったが、アメリカの実態は進んでいたようだ。
店でもレインボーフラッグを掲げるところもいくつか見かけた。
マイアミは、先進的な地域かもしれない。

9.地下鉄

 日本でも、たまに、爆弾やガスさわぎや無差別刃傷事件などがあるが、
ニューヨークの地下鉄は、大きな黒人が群れて乗っていると怖い。
ヤクなのか酒なのかわからないが、ロレツがまわっていない。
ボストンの地下鉄は安心できそうだが、ニューヨークは要注意
 乗る場所を十分にチェックしましょう。

10.テロ

 忘れられないのが2001年 9.11同時多発テロ
複数の仕事仲間がボストン出張中の最終日にテロが発生した。
私は海外ビジネスの管理者でもあったので、安全確保と帰国に向けて情報収集と指示をしていた。
ボストン空港は犯行場所なので、閉鎖されいつ開くか不明
日本帰国便の出るニューヨークも長期間閉鎖が予想される。

 日本行きが出るのはシカゴか、となりのカナダトロント
どちらかにバスかハイヤーで移動するように指示
現地判断でシカゴに移動に決め、二日がかりでシカゴに到着
数日待って、運良く帰国便が予約できて帰国できた。

 これだけ激変があると、お金も持ち出した額では足りないので、
カードも複数が必須だろう。

 当時は、国内便はまたテロの可能性があり、危険だったので、
陸路移動しか策はなかった。

 その1か月後にアメリカ出張だったが、
その間に、炭そ菌テロもあり、ピリピリの状況だった。
 東海岸は危険地域ということで、シカゴまでならOK、国内フライトは禁止という条件だった。

 当時と比べても 今の方が、イスラム、パレスチナ、イスラエル、ウクライナ、ロシア
などとすべてに関係するアメリカも含めて、
どこで大規模なテロが起きてもおかしくないほど危険な時期だろう。 

11.大地震

 日本は地震大国で、アメリカは大丈夫と思う人も多いかもしれないが、
サンフランシスコ地震は1989年10月17日午後5時4分に発生
大きな橋が崩れたり、大火事が発生し、大きな被害が出ている。

 当時シリコンバレーに部下がいて、当日ロスに移動予定
飛行機のスケジュールでは午後5時サンノゼ空港発とある。
タッチの差で大丈夫だ。
安全確認すると、航空会社の運行状況のステイタスも出発完了となっている。

 日本のテレビでは朝から被害状況をずっと放送している。
もうホテルに着く頃だと思って連絡をとるが、なかなか返信がない。
予定より3,4時間遅れてやっと返信があった。
聞けば、飛行機は滑走路にずっと止まっていたとのこと
調べると、滑走路に出た時点で出発のステイタスになるそうだ。

 これでは安心できないですね。


アメリカでの滞在期間は最長3か月を含めて、合計しても1年以下だが、
長年暮らしている日本での危険なことよりも圧倒的に多い気がする。

アメリカは先進的な国だが、危険も一杯
しかし、すごい所、面白い所、おいしいものも一杯あるし、
個性的な人が多くて、活きている社会だと感ずる。

初めて体験できることも多いので、
機会があれば、是非どうぞ