どうもこんばんわ。





疲労困憊です。
なんの?




頭の。





最近考える事の面白さがマイブーム再来して気づくと口開けてぼーっとしてます。





最近考えてた事。





アルムンドサッカースクールを立ち上げるにあたって、1番始めには決めた事。





『指導をしない』事。





『指導』はしないけど、『誘導』はします。





何なのかというと、昔から指導や指導者という言葉に無条件の上下関係を感じて嫌だなと思ってて、自分の考える教育論?には合わないなと思ったからです。





その事をスタッフに話した時に指導じゃないなら誘導だね〜。って言われて、それから使ってます。




無条件の上下関係ってなんなのか?
実は日本語の中には結構多くて。


例えば『育てる』っていう言葉。
『育つ』を主導的にした言葉だけど。
例として『子育て』とかね。





子育ては『誰かがその子を育ててる』っていう意味だよね。
でも、子どもって親が思った様に育たないし、黙ってても勝手に育つんだよね。




その育ててると思ってる人は実際『育っている子どもの補助をしている』んだと思う。





そこに無条件の上下関係が生まれてるんじゃないかな。





何でこんな事言ってるかというと、こんな自分ですが、スペイン語ペラペラなんです。




友人と話してる時に、『育てる」って言葉がない事に気付いたんだよね。
「教える」とか「導く」って言葉はあるんだけど、『育つ』の主語変換で自分が育てるっていうニュアンスでは言わないんだよね。





英語はよくわからないけど、grow up も『育つ』だよね。よくわかんないけど。





何が言いたいかっていうと、オレは指導もしないし、誰も育てないって事です。





" 誰かが育つサポートを全力でする "
だけ。





そこには上下関係はなく、人と人の関係性を1番に。




そんな想いで日々過ごしてます。





ではでは



アルムンドサッカースクール

NPO 法人アルムンドパスプロジェクト