昨日、大相撲元横綱の曙の死亡が発表された。

 54歳で亡くなったのは、早すぎるが、7年前から心臓の不調などで入院して、重度の記憶障害もあったので、あまりびっくりはしていない。

 曙と言えば、88年に大相撲に入門し、若貴兄弟や魁皇と共に「花の昭和63年組」で、デビュー後は順調に進み、93年初場所後には横綱に昇進し、史上初の外国出身横綱と注目された。

その後は、同期の若貴兄弟とともに相撲界を大いに盛り上げていた。

 特に印象的だったのは、長い腕を活かして強烈な突き押しで、相手に組ませないうちに相手を押し出す圧倒的な強さを誇っていた。 

 巴戦となった優勝決定戦にも2度出て、両方とも2連勝して優勝したが、その時もやはり強烈な突き押しで連勝したのだった。

 ただ膝の故障があり、優勝回数は期待されたほど伸びなかった。本人は一代年寄を目標に掲げたこともあった。20回以上が目安だが、そこには遠く及ばなかった。

 2001年引退後、当初親方を務めていたが、総合格闘家に転向し、2003年大晦日にはボブサップと対戦し、KO負けしている。その後も総合の大会にも出たが、体重が半分にも満たないホイス・グレイシーにも負け、プロレスに活路を見出したのだった。

 プロレスラーになってからは、新日本や全日本にも出て、盛り上げには買ったものの、相撲時代の輝きは出せなかった気がする。

 プロレスや格闘技でも注目を浴び、客を呼べる存在だったのは確かだが、相撲時代の実績で注目されたのだった。

 曙はやはり親方として相撲界に残るべきだった。

 そうすれば今頃東関部屋を継いで、立派な弟子を育てていたはず。

 尚、曙と言えば運の良さも思いつく。

曙は92年九州と93年初場所で2場所連続優勝して横綱に昇進しているが、直前の3場所では36勝(9,14,13)だった。これは奇しくも同じく相撲を引退後プロレスと格闘技を経験した北尾(横綱昇進後は双羽黒)と同数で、横綱不在だった状況に恵まれたと言える。

 曙が入幕した当初4人の横綱がいたが、91年夏に千代の富士が引退したあと大乃国、旭富士、北勝海と7場所の間に4人が立て続けに引退して、横綱が不在だったのも幸運だった。千代の富士にしても、関脇から大関・横綱へと駆け上がる際に、わずか3場所の間に2人の横綱と2人の大関が引退する過渡期に恵まれたと言える。

会社内での出世もそうだが、駆けあがる時には努力だけでなく、タイミングも大切だ。

 ただ曙が異国の地で横綱にまで登り詰めたことは評価したいと思う。