今日で禁欲は7日目。今週もあっという間に1週間が終わってしまう。
次回の記事を書く時は1週間を終えているはずなので、次回は最初の1週間で感じた禁欲生活のメリットについて書くとしよう。
さて、前回に引き続き、これまでで自分が最も禁欲で結果が得られたと感じている大学1年生のオナ禁について後半を語っていきたいと思う。
一応形式上は前回の記事の続きなので、まだ読んでいない人はそちらを先に読んでくれると嬉しい。
大学1年生の後期で、私は10月の頭〜12月末までの86日間の長期禁欲を達成した。
これは未だかつて破ることのできていない記録(だから今回破ろうと考えている記録)であり、そして最も自分が人間として成長できた禁欲期間だったと感じている。
では具体的に何を実現できたのか、今回は3つピックアップして語っていこう。
1、誰よりも勉強に打ち込むことができた。
帝王は1年生の前期に禁欲で捻出した時間をロシア語に費やしたため、2学期からは上級クラスに進学することができた。これにより普通の学生より外国語クラスを3コマ程度多く履修する必要があり勉強に追われた。
(特に、当時我々は1学期からロシア語を勉強し始めた初学者だったにも関わらず、当時当たったロシア人教師はロシア映画を1本見させて翻訳させるという鬼教師で、その授業の前日は食堂で友達とひたすら翻訳に徹していたのが懐かしい…)
ロシア語以外の授業もともかく授業を熱心にノートを取り、結果16科目履修して9科目優上、3科目優、2科目良 (1科目は評価のつかない単位)というかなり良い成績を収めることができた。
持続して禁欲を続けたおかげで生活リズムもしっかりしていたことが勉強に打ち込むことができた最大の要因だろう。何事も継続は力なり、である。
↑最終的に、2年生の夏休みに語学研修でロシアに行った。写真はサンクトペテルブルクの中心、ネフスキー通り。
2、自己肯定感が向上して、女子と話すことができるようになった、女子をご飯に誘えた
「うーわ、ガチ陰キャじゃんww」と思ったそこのあなた。そうです、当時私はドがつく生粋のコミュ障だった(今もそうだが)。
だが、そんな私でも、男子校6年でニキビだらけで天然パーマでコミュ障だった私でも、気になっていた女子をご飯に誘うことができた!
何故できたのか。それはズバリオナ禁をしていたからである。
オナ禁をしていると、周りの男子の禁欲日数が大体わかるようになる(ガチ)。
例えば、電車の座席に座っていた時にふと隣に座ってきた男性が「あ、こいつ今朝抜いたな」とか。
感覚というか、ニオイでわかるのだ。
考えてもみよう、どんなイケメンだって家ではベッドに寝転んでHな動画を前に左手を上下させているかもしれないのだ。
自分はそんな感じで他の人がおかず探しに使っているかもしれない時間を自己投資に3ヶ月使っていたら…
どれほどの自信が得られるかが想像できるだろう。
↑エミルタージュで見つけた結構好きな絵。男子諸君、こんな風な男になりたくない?
ただ、あくまで本当に目指すべきは"他人と比較した自信"ではなく、”自分の中の絶対的な自信”であるということも忘れないでほしい。
そんなわけで、1学期に比べて女子とも話せるようになった私は、女子をご飯に誘うことに成功した。コミュ力は元々なかったし、好きな女子の前では特に話せない症候群で、結局食事中会話は続かなかったけど。
だが2学期が終わった頃には女子と二人でお出かけまでできるようになり、なんと女子から恋愛相談をされた!
いや、お前が告られたんじゃねーじゃん!wと思われるかもしれないが、相談を受けるというのは素直に嬉しい。
相談の前提には信頼関係があると思うから、男子校出身者でも1年間で女子とそこまでの関係を築けたのが嬉しかった。
自分に自信のない私のような男子諸君には特にオナ禁を試して欲しいと思っている。
3、約3ヶ月の禁欲で辿り着いた一つの結論
長期間禁欲を続けていると、自分を客観的に見ることができ、他人を冷静に分析できるようになる。
そして禁欲は、人間関係や自分という存在そのものに関してより考える時間を与えてくれる。
禁欲期間を通して、私は様々なことについて思いを巡らせた。自分はどのような人間でありたいのか、他者の評価を気にする自分は本当に自分の生きたいように生きているのか、自分はどのように生きたら幸せなのか,,,
その中で特に、"どのようにしたら自信が持てるのか"について考えた。というのも、私は人一倍自己評価が低くて、"どーせ上手くいかないだろう"という想いが自分に常に付き纏っていた。そういう自分を変えたかった。
そして考える続ける中で、私は2つの結論に到達することになった。
第一の結論は、自信を持つための方法の中で、手っ取り早いのは外見を良くすることだということだ。
というのも、外見というのは自信に直結するからだ。
人が初対面の人を評価する時、外見はその評価の内訳の多くを占めるだろう。長い付き合いの人だって、恋人になるには外見がやっぱり重要だ。
男子がよく言う"俺は性格重視だから"。いやいや、そう言う奴に限ってアイドルみたいな女の子と付き合っていたりする。
今の時代、外見が大事、などと書くと炎上するのだろうが、なら叩く人は本当にブサイクで不潔な男、眉毛の濃い女子と付き合いたいと思うだろうか。絶対本音なんて言わないけど、結局皆顔や外見じゃないか。リーガルハイの小美門はそういうことをズバッと言ってくれてスッキリした視聴者も多いだろう。
外見が優れていることは他者からの評価につながるからやっぱり自信になる。これは疑い用のない結論だ。
でも、待ってくれよ!俺はお世辞にもイケメンじゃないし、ニキビがひどいし、天然パーマも酷い。対人関係を怖がって引きこもりがちな性格だし、コミュニケーションも得意じゃない。
そんな人間は入場ゲートでハイお断りなのか。
いや、そんなことはない。我々にはもう一つ自信の付け方がある。そして私はこちらの方が優れた方法だと考えている。
第二の結論は、"自分を磨くというプロセスそのものが自信につながる"ということだ。
別に容姿が優れていなくたって、例えばスポーツ選手として活躍している選手ってすごくカッコよく感じると思う(大谷翔平とか容姿も実力も"二刀流"の例外はさておき笑)。
なぜ彼らがカッコよく感じるかと言ったら、毎日努力している姿そのものが"カッコいい"と評価されているから。オリンピックで金メダルを取った、世界選手権で優勝した、といった記録そのものが評価されているのではなく、実はその影にある血が滲むような努力、常人が考えられないような努力そのものが評価されている。
"大会"や"テスト"は努力を図るための指標にすぎず、本来は努力そのものが評価されるべきだということだ。
自分についても同じことが言える。例えば、
・外見がブサイクでも"カッコよくなろうとする努力そのもの"がカッコいい。
・頭が悪くても、”学年で10番以内に入るために毎日勉強すること"がカッコいい。
・ニキビが酷くても、"肌荒れを改善しようとする努力"がカッコいい。
評価するのは自分。先に述べた外見の面では他者から評価されていた自分を、ここでは自分で評価する。
確かに、最終的に目指す目標や基準は、世間や他者によって定められているものかもしれない。
(例えば、痩せている女性が美しい、なんて先入観は美容業界の誇大広告によって植え付けられたものだ)
だが、自分がそうなりたいと思ったのなら、それに向かって努力する自分はもう"他者から評価される人間"ではなく"自分で自分を評価できる人間"なのだ。それを繰り返していけば、相当な自信がつくだろう。
私は、前者を"相対的自信", 後者を"絶対的自信"であると考える。
どちらかと言えば後者の方がやっぱり強い。自分の中に絶対的な自信を持つことができるから。
そして、絶対的自信を実現する手段として、最も有効なのが"禁欲"だと考えている。
例えば、自慰に耽っていた時間を使って筋トレに打ち込んだりしたら、一石二鳥だ。物凄いエネルギーを自己投資に用いることができる。
ただし、忘れてはならないのは、禁欲はあくまで目的ではなく"手段"であるということだ。
目的を見失った長期禁欲からは何も得られない。その時間を通して自分が何を実現したいのかをしっかり考えることが大事である。
そしてまた、絶対的自信を獲得する手段は人によって様々だということも述べておきたい。
私に取ってはそれが禁欲であっただけで、各自で自分が自己実現できそうな課題を各自が見つけて取り組むことが大事だと考えている。
明日で丁度禁欲を始めてから1週間になるので、次回のブログでは最初の1週間で感じた効果を紹介していこうと思う。
では!