自分が在籍していた2005年くらいの時の話です。

当時はめざめよ誌とものみの塔誌が二週間に一度のペースで発行されていました。

(今は発行されていない旨の情報をブログで入手し大変驚いております!

 

これら二誌は当時の兄弟姉妹達が日々の奉仕活動で配布する冊子の最もスタンダードなものに該当します。

 

この冊子、各ご家庭で予め毎回何部入手するか会衆側に連絡しており、発行の都度、各自で書物カウンターに取りに行くシステムでした。

 

特にやる事のない、王国会館での集会終了後のタイミングでの出来事です。ブログK姉妹の鞭の最高回数 47回でご紹介したK姉妹に話しかけに書籍カウンターへ手伝いに行ったことがあります。

 

そこで私は初めて皆さんの購読数(?)を目にしたのでした。

 

一番多い姉妹は、35部前後で2名いらっしゃいました。

一名は隣のマンションに住む姉妹で3人娘がいて当時すでに皆成人してましたが、真ん中の娘さんのみ組織に留まっていました。その娘さんは中学校卒業後、開拓奉仕のため通信制の高校に通い、高校卒業後はパン屋さんでパートタイマーとして勤務しつつ奉仕に励んでいました。あとの二名の娘さんは途中で宗教生活にドロップアウトした模様でしたが、上のお姉さんは公務員と伺っていた記憶です。

もう一名の姉妹は、高齢のP姉妹で、3人兄弟が全員組織に留まっており、組織の指示に対して非常に厳格な印象を私に与える姉妹でした。このP姉妹の3人兄弟についても追ってブログで紹介させていただきます。

 

さて、35部前後となると、数えるのだけでも大変で、受け渡す送料は2誌×35部=70部となり、大変分厚い量の冊子を運んだことを記憶してます。姉妹の配布量はこんなに多いのか!と、とても驚いたのであります。

 

次点が25部前後だったと記憶しています。私の母親はここに属していました。数えるほどの姉妹しかいませんでした。

 

ボリュームゾーンは15-10部で、殆どの姉妹達はここに属していました。

 

私の母親は定期的に25部受け取ってましたが、子供ながらにそんなに配布先があるか疑問に思っていました。本当に必要なのかこんな大量の冊子が我が家にと。

というのは、我が家というか私たちの部屋に対して、この冊子や協会の出版物が面積を圧迫していたからです!!!!

 

私の母親は片付けが苦手で、何事も“もったいない”が口癖で、ものを溜めこむような人間でした。子供が小さくなった服も誰かにあげるといってずっと取っといている(そして数年たっても同じ場所にある)ような人間です。小学校高学年の時、私が一向に片づけない母親にキレて、冊子を年代順にまとめたことがありました。クローゼットの奥まで出てくる全く手の付けられていない冊子の山の数々、それを見て子供ながらにあきれた記憶があります。。。ピアノの先生だった姉妹に相談した事もありましたが、姉妹も書籍に関しては、どこの家庭も場所を取っていて共通の悩み(苦笑)とおっしゃっていました。

 

ある日、掃除をどこから手をつけようかと、本棚を眺めていました。ふと、本棚のスペースの大半を取っている、組織の発行するベージュの帯の立派な分厚い書籍に目が留まり、何気なく手に取ってみました。内容はなんと(!)ものみの塔誌とめざめよ誌それぞれの年間で発行された冊子を一冊にまとめた完全版だったのです!冊子を確認する必要に迫られたら、これを見れば全て解決する事に気付いた私は、“これで片づけられる”と考え、してやったりと思う感情の半分、こんなに大量の冊子を保管し続けることを厭わない母親の気持ちの理解がより一層できなくなりました。

 

その“完全版”の存在に気付いた私は、母親にその事を伝え、必要だったらここから見ればよいと伝え、家にある昔の冊子類を大量に処分したのでした。反対されましたが、保存版があることを理由に、意に介せず、実際に迷惑だったため、友人の一人にも手伝ってもらい捨てまくりました。(当時は冊子だけなら宗教関係の出版物だと一目でわからないだろうと判断した上で友人に依頼しました。紐で止める表紙になる冊子は、宗教色が薄いものになるよう注意はしましたが)初回のタイミングでは、新聞回収に使う紙袋15袋相当分以上は捨てたと思います。捨てても捨てても出てくる冊子の山・・・。もちろん一回捨てても定期的に入荷される冊子も一定数ありますので、時間が経つと部屋の中は同じように冊子の山になるという次第だったのでございます。

 

今となっては懐かしい(と思われる)、ものみの塔誌とめざめよ誌の紙版の冊子達。皆さんのご家庭ではどのように管理していらっしゃったか、ご共有を頂けるととてもうれしく思います。読んで下さりありがとうございました。