”繁栄の未来に向かう最初の一歩” | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

今日も三橋貴明氏のブログで政治・経済を学びます。

 

<”繁栄の未来に向かう最初の一歩”>

「最新の技術を活用して」と、それっぽいことを書いていますが、要するに「支援」を餌に、自治体にインフラ維持費用を削減させようという単なる緊縮財政です。


 しかも、
「コスト削減を図る自治体は、優先的に支援する」
 ということは、
「コスト削減を図っているようには見えない自治体は、支援しない」
 ことを意味しており、完全に地方選別論になっています。


 というか、そもそも地方交付税交付金の削減が続く、現在の緊縮財政の最中に、コスト削減を図っていない自治体など一つもないでしょう。
 

 さらには、80年代以降、明らかに雨量が激増し、さらに政府が緊縮財政で防災をさぼっているため、「洪水浸水想定区域に住む人が増えている」ことを問題視するとは。何世代も前から、そこに住んでいた人ですら、「住んでいる場所」で選別されるということですか。
 

 要するに、住民には一切責任が無かったとしても、
「自然災害にあったら、それはあんたの自己責任」
 というわけでございますね。


 財政破綻論に基づく緊縮財政と、自己責任論はコインの表裏です。緊縮財政とは、
「もはや政府は国民を守りません」
 という話であるため、必然的に自己責任論にならざるを得ない。財務省の「それっぽいレトリック」を読み解けば、如実に理解できるでしょう。

 

 

土木・建設業の人手不足は、政府の緊縮財政に端を発する「需要の不安定」により、大胆な賃金の引上げ等ができないが故に生じているのです。政府が緊縮財政を改め、継続的、安定的な需要をコミットして初めて、土木・建設業の人手不足は解消に向かいますし、生産性向上の投資も進むでしょう。
 

 ところが、財務省や財政審は、自分たちの緊縮路線が主因でありながら、
「とりあえず、人手不足なのだから予算は増やさない。人手不足の土木・建設業は、生産性向上で何とかしろ」
 と、マッチポンプも甚だしい暴論を平気で吐いてのける。つまりは、人手不足の解消も、自己責任(企業の)。


 冒頭の、「最新の技術を活用してインフラの維持管理にかかるコストの削減を図る自治体を、優先的に支援すべき」と、同じ発想になっているのが分かります?


 ちなみに、建設通信新聞「財務省財政審/不調の主因は人手不足にあらず/予算抑制根拠に疑問/課題の主眼は処遇改善コスト」によると、10月15日に岩手県で「全中建 全国ブロック別意見交換会」が開かれた際に、業界関係者が国土交通省に対し、
「(入札の)不調・不落は手が足りない(人手不足)からじゃない。実勢価格と乖離(かいり)しているからだ。儲かるなら人をかき集めてでも応札する」
 との声がぶつけられたとのことです。


 緊縮財政で、儲からない。そんな状況で、人手不足を埋める生産性向上の投資をする経営者はいませんし、応札する企業もいません。何しろ、損をします。
 

 結局のところ、財務省主導の緊縮路線が続く限り、我が国は「自己責任論」と「供給能力の毀損」から逃れることができず、やがては国内需要すら自国企業、人材、技術で賄えない発展途上国に落ちぶれざるを得ないのです。


 とにもかくにも、緊縮財政路線を打ち破りましょう。それこそが、繁栄の未来に向かう最初の一歩です。逆に言えば、緊縮が続く限り我が国に繁栄の未来はありません。