”国民殺しの財務省の短期主義” | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

今日も三橋貴明氏のブログで政治・経済を学びます。

 

国民殺しの財務省の短期主義

 

 財務省の緊縮財政至上主義の問題の本質といってもいいかも知れません。それは「短期主義」です。


 ご存じの通り、財務省の官僚は「省是」である緊縮財政に貢献すると、出世の階段を昇ります。消費税増税、公共事業削減、社会保障抑制、地方交付税減額、防衛費削減などなど、とにかく緊縮財政のために「汗をかく」ことで、上司に「評価」される構造になっているのです(本当にそうなんです)。


 そして、緊縮への「貢献」は、短期で大丈夫です。
「今年、増税に貢献した」
「今年、公共事業を減らした」
 これで、その年の「評価」はクリアーとなります。


 つまりは、自分が担当のときに反緊縮的な財政拡大をやられるのが困るわけで、担当から外れれば、どうでもいい話となります。何しろ、自分の出世と関係ありません。


 さらに言えば、例えば「財政悪化」を政府の負債対GDP比率の上昇と定義したとして(実際はどうでもいい話ですが)、
「中長期的な財政悪化」
 もまた、財務官僚個人にとっては、どうでもいい話です。とにかく「今年」、緊縮財政のために「結果」を出せれば、それでいいのです。


 デフレ期に消費税を増税すると、デフレが深刻化し、GDPが伸びなくなります。結果的に、政府の負債対GDP比率は上昇しますが、財務官僚個人は「財政の悪化」について責任を追及されるわけではありません。評価されるのは、あくまで「今年、緊縮に貢献したか、否か」になります。
 

 財務省が本気で政府の負債対GDP比率の「引き下げ」を目指すならば、財政拡大でデフレ脱却をすれば済む話です。というよりも、デフレ脱却以外に手段がありません。


 とはいえ、「デフレ脱却」や「政府の負債対GDP比率引き下げ」や「GDP拡大」は、財務官僚の出世とは何の関係もないのです。さらには、「財政拡大」を許してしまったとなると、これはマイナス評価です。


 というわけで、日本国の緊縮財政は続き、デフレから脱却せず、GDPは増えない。当たり前ですが、日本政府の負債対GDP比率は(日銀買取分を含めると)ひたすら上昇していきました。(図は、「政府の負債」を国債・財投債で見ています)

 

財務官僚たちの「短期・出世主義」の影響で、日本の政府の負債対GDP比率はひたすら上昇していきました。無論、所詮は自国通貨建て国債であるため「ざいせいはた~ん」とやらになるわけではありませんが、財務官僚は当然ながら、
「自らの緊縮財政が引き起こした、政府の負債対GDP比率の上昇」
 をも緊縮のために活用し、
「国の借金がGDPの二倍に達している! 更なる緊縮が必要だ」
 と、「その年の担当官僚」が煽り、増税や政府支出削減が推進されるわけでございます。


 お分かりでしょうが、この種の短期主義は、中長期的には「逆に、損をする」ことになります。短期の緊縮で、中長期のGDPが伸び悩むと(伸び悩みましたが)、税収が減ります。


 とはいえ、そんなことはどうでもいいのです。財務省の目的は、税収を増やすことでも、政府の負債対GDP比率を引き下げることでもなく、「今年、緊縮すること」なのでございますから。
 

 

財務省の「超短期主義」を象徴しているのですが、現在の日本には「国土計画」がありません。中長期的なインフラ整備計画が存在しないのです。


 ちなみに、国土計画を持たない主要国は、日本だけでございます。
 

 結果的に、防災インフラの建設が滞り、ついに「災害頻発」の時代に突入。短期の「カネ」をケチった結果、中長期的に莫大な国民の財産が失われる状況になっています。


 さらには、国民が死んでいく。


 それでも、財務省は変わらないでしょう。国土交通省が悲鳴を上げ、
「防災インフラへの投資を増額しなければならない」」
 と、叫んでも、財務官僚は、
「そうだね。じゃあ、代わりにどこ削る? 社会保障や防衛予算や科学技術予算や教育予算や地方交付税交付金を削ろうか。あ、防災増税というのはどうだ?」
 と、やってくるに決まっているのです。何しろ、PB黒字化目標は破棄されていません。


 というわけで、政治の力が必要です。政治の力で、財務省の「出世構造」を変えなければなりません(現在は、不可能ではありません)。
 

 そして、そのためには、国民の多くが「国民殺しの財務省の短期主義」の現実を知り、それが「我々の生活やビジネス」に凄まじい悪影響を与えていることを理解する必要があるのでございます。


 財務省の狂った構造を壊し、財政主権を取り戻しましょう。