L'Equipe Suzuya No.2 | よくいうかいえ ( Cahier)

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古布リメイク作家のつれづれ日記

昨日のレセプションより数年前に開催したファッション・ショーの様子です。
多分1974年ごろ。 パリに赴任してから2~3年位経ったころでしょう。

シャンゼリーゼからオフィスを移転し(手狭と言っても、広々としていましたが
一挙に会社が規模拡大しスタッフが増えたのです。)
Avenue Edgar Quinet のメトロから直ぐの交差点にあるカフェ隣のビルの
地下と2階をそっくり借りてアトリエ・ビュロー・倉庫 
そう、大きなバス付きのWCとキッチンも完備していた
パリ鈴屋。

全ての写真にいらっしゃるムッシュ・スーソンはアトリエのシェフ。
確かジバンシーで仕事をされていらしたとか・・・
大変、誇り高い方でして事あるごとにそのキャリアを聞かされ、
”正統派の仕事はかくあるべき!” と我々が発注する現代的な(かなりのアバンギャルドでしたから)
デザインに対してもう毎度のバトルを覚悟せねばなりませんでした。

それでも、気長に(とても急ぐのですが、このプロセスが必修でした!)説得ではなく
”お願い!”するのです。
その場合、私が最もDiplomat (とまた、私もおだてられ・・・)な適役で下手に
カワユク、「ネ、ムッシュ こういう風に作って欲しいの~。」すると大分経ってから
「これでどお?」 とどうにかトワルを起こしてくれました。
そうやって製作意志を貫いて来た事が評価に繫がったのです。

そんな訳でムッシュ・スーソンは特別に私を可愛がってくださり、
自宅へ招いてくれたり、モロッコ旅行では妹さんを紹介してくれたのです。


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中央右の写真は ファッション・ショーが終わった後のもので
当時は日本人スタッフが主で運営されていました。

右上の写真はこの後、どんどん現地人スタッフが加わり
国際色豊かになりました。
(皆さん、今頃どうしてらっしゃるでしょう・・・?)

赴任当時の我々日本人への人種差別問題等遠い日の経験の如くに
感じたものです。
それでも、今度は日本の本社からの現地を理解しにくい状況での指示命令には辟易。
何処を向いても、わからんちんばかりだと思いました。
パリ鈴屋のボスと我々も現地の人々との間に挟まれて大層厚い壁の
立ちはだかりを感じながらの毎日でした。

それでも、実に皆良く働きました、頑張りました!

素敵な笑顔がこうして残っています・・・


震災から半年経った今日、この頃の直向な努力の毎日を思い返し
まだまだ、今から出来る事があると考えている。