私は今まで2人の子供は、里帰り出産をした。
で、今回の3人目出産はアメリカでする事に決めた。
私の両親は、持病があるので健康面でリスクが大きく、13時間も飛行機にのって手伝いに来てくれということは、不可能ということになった。
ここ、アメリカで旦那と二人で乗り切るしかなくなった・・・( ̄ー ̄;
では、なぜそこまでしてアメリカで出産したのか??というと・・・(ちょっとここは真面目にいきます)
理由は・・・私の3人目の赤ちゃんは、大きく2つの不安要素があった。
まだ私は34歳とはいえ、たいして35歳とかわらないので「高齢出産」になるため、検査をするように産婦人科のおじいちゃん先生から言われて、いくつかの検査を行った。
①まず血清マーカーテストで異常値が出て、「ダウン症など染色体異常の可能性もある」ということになり、別の専門のお医者さんへ行き、「羊水検査」をした。しかし幸い、結果は「異常なし」だった。
最終結果が出るまで6週間もかかり、その間生きた心地はしなかった。
②羊水検査の次に行われた、これまた上と同じお医者さんへ行き、エコー検査による「胎児診断」で、「可能性は低いが、心臓に異常があるかも」という事で、経過観察(定期的にエコー検査を行う)ということになった。
これも、「まず問題なし」という事だったけど、念のため、34週から出産までは毎週の「エコー検査」と「ノンストレステスト」で赤ちゃんの心臓を見続ける事になった。
*①②ともに、検診、出産をお願いした産婦人科のおじいちゃん先生から、別の先生へ回されて検査をしてもらった。はっきりいって、この別の先生のほうが、かなり信頼できそうな、仕事がデキルドクターだった!!
もし、万が一にでも赤ちゃんの心臓に異常があったら・・・と、考えた。ものすごく悩んだ。アメリカでできた友達の前で、柄にもなくおいらってば、泣いたりもした。・°・(ノД`)・°・
(結局、異常なく生まれてきてくれたわけだが、もしかしたら...と思うと心配でたまらなくなった)
そして、ここまでアメリカで細かく検査してきたのだから、出産までアメリカで迎えたほうが、いろんな意味でややこしくない!!と私が判断。
最終的に、旦那と二人でアメリカで出産を乗り越えよう!と、あえて、茨の道を選ぶ事になった。
旦那は、日本では家事などほぼノータッチだった。でも、これは仕方ない、と思っていた。(ノДT)
月に何回か当直して、当直明けも夜遅くまで仕事して、ボロ雑巾の様になって帰ってきて「病院に殺されちゃうよ~」と言うのが口癖だった旦那に「おむつとりかえてー!」とか、「ちゃわん洗ってー」とか、家事育児の手伝いなどを要求するのは無理ってえーもんだった!!( ̄Д ̄;;
家のことをしてる旦那を見た事がなかった私には、かなり不安だったが・・・出産後の結果は・・・
こりゃあ、まあーおったまげた( ̄□ ̄;)びっくりした!
洗濯をさせると・・・ちゃんと伸ばしてきれいに干されてる( ̄□ ̄;)!!
掃除をさせると・・・なんかちゃんと整理整頓されてるΣ(~∀~||;)
料理をさせると・・・あら?カレーすごくおいしいじゃない・・・しかも私より・・・しまいには、今までやったことがないという揚げ物系(とんかつもから揚げ)も作るようになってるし・・・∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
子供の送り迎えも、普通にこなして私のポーランド人のボスとチェコ人の友達とも、世間話してくるようになってるし・・・( ゚ ▽ ゚ ;)
そして、恥ずかしいけどおしりの傷も消毒してもらった・・・じいちゃん先生はあてにならなかったし(´□`。)
旦那ってなんか、私よりも専業主婦向いてる??ヤバイ、ヤバイヽ(;´ω`)ノ
本当に、びっくりするほど2週間の間、大奮闘をした旦那なのでした(-^□^-)
日本にいたら、旦那の大奮闘は絶対にありえない事だったので、私たち夫婦にとってもアメリカで出産を迎える事は、たくさん苦労もしたけど良かったなー!と、思った。
日本へ帰っても、こういう旦那であり続けてくれたら・・・と願う私だけど、旦那は言う。
「たぶん、日本へ帰ったら、映画”レナードの朝”のロバートデニーロみたいに、また元の僕に戻る気がするよ・・・何もしない動きの止まった僕に・・・(*^o^*)」と。
ええ、きっとそうでしょう、悲しいかなきっとそうなるでしょうなあ。o(TωT )
しかし旦那のがんばりのおかげで、ここまで復活してきた私。
直接旦那に言うのはなんだか照れくさいので、ここで旦那に密かに「出産後支えてくれてありがとう」、と言ってみる、ぼそり(≧▽≦)
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